ピラミッドの作り方・建設方法とは?高さや石の大きさ等も調査!

エジプト・ギザのピラミッドは、最大のクフ王のものでは、

高さ約146メートル、一辺の幅が約230メートル

という途方もない巨大さです。

これは高さは東京ドームの2倍以上、幅も東京ドームを遙かに上回るサイズなのです。

ピラミッドが建設されたのは、今から4600年も前のこと。

当然、ブルドーザーやクレーンなどの重機は、一切ありません。

全て人力で、どうやってこの人類史上でも一二を争う巨大建造物を作ったのでしょうか?

しかもその底辺は、正確に東西南北にそっているのです。

この記事では、ピラミッドの作り方・建設方法と、その高さや石の大きさ、運搬方法等も調査してみました!

ピラミッドの作り方・その建設方法とは?

ピラミッドについて、誰もが不思議に思うことは、5000年近く前にこんなばかでかいものを一体どうやって作ったのだろう、ということですね。

一辺が230メートル、高さが146メートルもあるのです。

このクラスの大きさになると、現代でも簡単な工事ではありません。

蛍雪業界大手の大林組は、1978年に現代の技術でクフ王の大ピラミッドの建設についての研究をしました。

その結果は、

総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人

というものになりました。

リニア新幹線の工事ほどではありませんが、超高層ビルの建築などに匹敵する位の工事規模でしょう。

また、1立方m当たりの建設費用は、コンクリートのダムが2万4000円前後に対して

ピラミッドの場合は4万8000円程度

になるそうです。

単位容積当たりのコストは、コンクリートダムの約2倍になるわけです。

しかも、1960年代にアブ・シンベル神殿の移設で解体されたブロックの数は、およそ2200個です。

これは重機を使ってさえ、5年の年月がかかりました。

一方、ピラミッド建設に必要なブロック数は、およそ200万個以上と見積もられ、はたして現代の技術で可能なのだろうか、とも言われています。

アブ・シンベル神殿の約2000倍のブロック数なのです。

もし、アブ・シンベル神殿の工事と同じ規模の重機や作業員数ですと、

5×2000=1万年かかる!

ということになります。

となりますと、大林組の試算はかなり過小のような気もしますね。

それでは実際のピラミッドの作り方・建設方法ですが、以下のような仮説が提示されています。

  • 外部スロープ説(傾斜路説)
  • クレーン説
  • 内部スロープ説
  • 水路トンネル説

外部スロープ説(傾斜路説)

これらの中で、従来から言われていたのは、外部スロープ説(傾斜路説)で、建設方法の主流の説となっていました。

ピラミッドの一段目にそって土盛のスロープを作ります。

その上に上がって一段目の石を積み、二段目の高さまでスロープを延長します。

これを繰り返せば、最上部まで届き、最後に周囲の土森を取り除く、というわけです。

しかし、この外部スロープ(傾斜路説)には重大な欠陥があります。

そのひとつは、スロープの勾配があまりに急になると、石を引いて運び上げる労働者が登れなくなる、という点です。

その上がれなくなる勾配の限界は、最大でおよそ8%だそうです。

かといって、スロープの勾配を緩くすると、約1.6キロという非常に長大な長さになり、ギザにはそんなスペースはありません。

これに対する答が『螺旋型スロープ』です。

つまりピラミッドの4辺の周囲に、ぐるりと

螺旋(というより方形の)スロープを造る

という方式です。

これなら傾斜を緩くしても方形の渦巻きですから、直線的なスペースはそれほど必要ありません。

ピラミッドの周囲には土盛の跡が残っていることがあります。

これが建設当時の傾斜路の名残りという証拠になります。

この説の問題点は、角の角度を確認できない、という点にあります。

スロープの土盛で角が蔽われてしまうためです。

角の角度は、四辺の稜線が頂上で一致するためには、非常に重要です。

これが見えないとなると、頂上で各稜線が食い違うことになり、ピラミッドになりません。

この問題の解決方法としては、観測の都度角の部分の土盛を稜線が見える程度に一時的に除去し、観測後にうめ戻す、というあたりでしょうか。

クレーン説

ピラミッド建設についての現存する最古の仮説は、紀元前450年にエジプトを訪れたギリシャの歴史家ヘロドトスの説です。

ヘロドトスは、石を積み上げるためには『複数の装置』が使われたと述べていますが、、この装置とは『クレーン』を指すもののようです。

近代までエジプト人は、灌漑用にナイル川から揚水するため『シャダーフ』という木製のクレーンに似た機械を使っていたそうです。

この装置は古代の墓所にも描かれていて、ピラミッドの建造時にも使われたと考えることができるでしょう。

このシャダーフ類似の機械で、石を持ち上げ、積み上げていったという説です。

この説にも重大な欠陥があります。

それはエジプトには、数百機の巨大なクレーンを作るほどの森林がない、というものです。

エジプトは砂漠が多く、クレーンに使うような長く太く丈夫な木材を、大量に伐採できるような森林はありません。

クフ王の時代も今と状況は同じだったと思われますが、そのような木材はレバノンから輸入され、非常に高価だったようです。

クレーン説のもう一つの欠陥は、巨大な数百基のクレーンを全て置く場所は、ピラミッドの周辺にはない、という点です。

ギザの3つのピラミッドやスフィンクスは、かなり近い距離に建設されています。

クフ王の時代にも、既に1つピラミッドは存在していました。

となると、クレーンを置く場所はかなり制限されそうですね。

内部スロープ説

上記のように、外部スロープ説やクレーン説にはかなりの矛盾があります。

それに対して出されたのが、フランスの建築家、ジャン・ピエール・ウーダンの説である『内部スロープ説』です。

彼は7年もの年月をかけて、大ピラミッドの詳細なコンピュータモデリングを作成しました。

その結果が、

スロープは確かに存在するが、そのスロープはピラミッドの外部ではなく、内部に存在する

というものです。

ウーダンの説の特徴は、ひとつの作り方でピラミッド建設の全ての工程を説明するのではなく、

ピラミッド建設を数段階にわけて、各段階ごとに最適の工程を採用した

という点でしょう。

具体的には、下から3分の1までは、直線の外部スロープで石が運ばれました。

ここまでは外部スロープ説と同じですね。

そして下から3分の1から3分の2までの段階では、その直線外部スロープから内部にスロープが設けられ、そこから石を積み上げていきます。

この内部スロープは、入口が1.8メートル程度とかなり狭いものだったようです。

さらに内部スロープを積み上げ、下から3分の2から頂上までを建設して行った、という説なのです。

この内部スロープ工法では、内部スロープの設計は非常に複雑で困難だったと思われます。

ピラミッドの内部には、玄室その他の空間が多数あり、それと重複しないようなスロープを作れたというのは、奇跡敵にさえ思えてきますね。

とはいえ、現在の各説の中では、この内部スロープ説は説得力は十分あります。

なお、水路トンネル説については、これは建設方法というより運搬方法ですので、次項で取り上げます。

石の大きさや運搬はどのようにしていた?

ところでピラミッドに使われている石材ですが、その大きさはどれ位のものなのでしょうか。

また、運搬方法はどのようにして、石材の産地からギザまで運ばれたのでしょうか。

まずピラミッドに使われている石の大きさですが、これは均一ではありません。

概して下部ほど大きな石を使い、上部に行くにしたがって一つの石の大きさは小さくなっていきます。

女王の間と王の間の屋根の梁には、巨大な花崗岩と石灰岩が使われていて、一個の重さが60トンを超える石もあります。

しかし、上に行くほど1個のサイズは小さくなり、頂上付近では一辺が約46cm程度となります。

なお大林組のシミュレーションレポートによりますと、巨石の最大のものは、500トンにもなるそうです。

これらは全く別の方法で採石し、運搬しなければならないのです。

この石材の産地ですが、石灰岩についてはすぐ近くで大量に産出しています。

ですので、500トンクラスを別にすれば、運搬にもそれ程苦労はしなかったと思われます。

しかし、花崗岩となりますと、ギザ周辺には全く存在せず、1000キロも離れたアスワンダム近辺にまで行かなければならないのです。

運搬方法については、近隣の石灰岩はコロを利用したのでしょう。

丸い木材を並べて、その上を押していく方法です。

花崗岩などの遠路の場合は、やはり航路だったようです。

ピラミッドの周囲や石切り場には、運河や水路の跡が発見されているという情報もあります。

この巨石の積み卸しには、『シャダーフ』類似のクレーンが使われたのでしょう。

ここでちょっと変わったピラミッドの建設と、巨石の運搬方法についての新説です。

水路トンネル

建設方法の各説はいわば正統的なものですが、それとはまるで異なる説もあります。

とある建設会社社長さんが、現場目線にたってこれまでの正統的な説とはまるで別の『実現可能なピラミッド建設プラン』を提唱したのです。

それが

ピラミッドは超巨大『水路トンネル』で建造された!

という、ウォーター・シャフト理論です。

この説を唱えたのは、英国アッシュボーンの建設会社社長クリス・マッシー氏です。

その発想がユニークなのです。

当時、ワインや水などの容器として使われていたのが、動物の皮です。

それを空気で膨らませれば強力な浮力材になります。

それを石材にくくりつつければ、労力をあまり使わずナイル川経由で石材を運ぶことができるというわけです。

しかし、ナイル河畔からギザの大ピラミッドまでは、8kmもの距離があります。

その陸路の運搬はどうするのでしょうか。

傾斜をつけた『水路トンネル』と『水門式の扉』を併用すれば、浮力を使ってピラミッドの上部まで石材を運ぶことができるそうです。

この説は、ミニチュアでの実験映像もあるようで、また、マッシー氏のアイデアは彼の著作

『Pyramids of Egypt: How Were They Really Built?』

で読むことができますが、今の所邦訳はされていません。

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まとめ

ギザのピラミッドの作り方については諸説ありますが、なんらかのスロープを使ったのは確かです。

それも外部からのスロープのみならず、建設途中のピラミッドの内部にもスロープを使っていたという説が、最近は有力視されています。

また、石材は石灰岩はすぐ近くにありますが、花崗岩ははるかなアスワンダム付近から船で運ばれたようですね。

石の重さは数十トンから、最大のものでは500トンクラスのものまであります。

当時のエジプトにはクレーン類似の機械まであったようですが、それでも500トンとなると漁船1隻分くらいの重さです。

まったく、とんでもないことを5000年近く前のエジプトの人々はやっていたのだな、とつくづく驚嘆してしまいます…。

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