スギ薬局の杉浦広一会長と妻・昭子の経歴を調査!社長で息子の克典氏もチェック

ドラッグストア・スギ薬局を経営するスギホールディングスの元会長・杉浦広一氏とその妻・昭子氏が、

夫妻にワクチンを優先して摂取できるよう働きかけた

として、上級国民だと批判されていますね。

スギ薬局の創業者である杉浦広一元会長、そしてその妻・杉浦昭子氏は一体どんな人物なのか注目を集めています。

また、現在のスギ薬局社長は、夫妻の息子なのだとか…。

この記事では、スギ薬局を経営するスギホールディングスの杉浦広一・昭子夫妻、そして息子の克典氏の経歴を調べました。

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スギ薬局の杉浦広一・昭子夫妻は上級国民?

愛知県西尾市に本社を置く、スギ薬局のスギホールディングス。

その元会長である杉浦広一氏の秘書が、

ワクチン接種を元会長夫妻だけ優先的に接種できるようにしつこく要求、その結果西尾市の近藤副市長が便宜を図った

として、現在炎上中です。

近藤副市長によれば、

「夫妻は市への貢献度も大きく、忙しいお2人なので担当部署に依頼した」

と説明。

中日新聞の取材を受けた後、西尾市は早急に夫妻の予約を取り消したとのこと。

この報道を聞いて筆者が真っ先に驚いたのは、杉浦広一元会長が上級国民どうこうではなく、

「スギ薬局って全国区じゃなかったのか…」

という部分でした。

地元の人間からすると、スギ薬局は割と馴染みの深いドラッグストアなので、まさかスギ薬局を知らない県の人がいるなんて思いもしませんでしたね。

調べてみると、スギ薬局は

東北、中国、四国、九州には店舗が存在しない

らしく、久しぶりにローカルギャップを感じさせられました。

ちなみに、スギ薬局はクーポンがかなり安いことで有名なんですよ。

さて、今回の報道によって、ネット上では、

「上級国民ならワクチンも優先接種できるのか」

と、西尾市とスギ薬局に対する猛批判が起こっていますが、実際のところ、スギ薬局の杉浦夫妻は本当に上級国民なのでしょうか?

スギ薬局の杉浦広一・昭子夫妻の経歴

早速、スギ薬局の杉浦広一元会長と、その妻昭子氏が本当に上級国民なのか確かめるため、経歴を見ていきましょう。

まずは、杉浦広一元会長からです。

杉浦広一のプロフィール

生年月日:1950年7月22日

出身:愛知県西尾市

職業:薬剤師、実業家

配偶者:杉浦昭子

杉浦広一元会長は、愛知県西尾市で生まれ、地元の小中学校を経て、

愛知県立西尾高校

に進学しました。

西尾高校は、名前の通り杉浦広一元会長の地元・西尾市にある高校です。

西三河地方では難関校で、偏差値は64と高く、愛知県内でもトップ1割の中に入る高校なんですよ。

高校を卒業後は、

岐阜薬科大学薬学部製造薬学科

に進学。

偏差値は60で、主に薬剤師を目指す人の進学先ですね。

この頃から、杉浦広一元会長は明確に薬剤師になるという目標を持っていたことが伺えます。

大学卒業後は、

鬼頭天昌堂薬局

に入社しました。

鬼頭天昌堂薬局は愛知県刈谷市に本社を置く薬局で、現在のキトー薬局ですね。

西三河地方を中心にやっている薬局なので、同じ愛知県民でも、尾張地方の人はキトー薬局を知らない人が多いかもしれません。

大学卒業から2年後の1974年に、大学の後輩であった昭子氏と結婚、結婚と時を同じくして、

西尾市にスギ薬局を創業

しました。

ここで杉浦昭子氏が登場するので、次に、杉浦昭子氏の経歴を見ていきましょう。

杉浦昭子のプロフィール

生年:1953年

出身:京都府

杉浦昭子氏も愛知県西尾市の生まれかと思ったら、

京都府出身

でした。

まさか愛知県と全く縁もゆかりもない場所で生まれたとは、驚きですね。

杉浦昭子氏は父がサラリーマン、母が駄菓子屋さんを営んでいたそうで、小さい頃から店のお手伝いが習慣になっていたようです。

大きな氷や牛乳瓶が20本以上入っている箱を、自転車に縛りつけて運んでいたとのことですよ。

子供ながら、なかなかパワフルな生活を送っていたんですね。

杉浦昭子氏が薬剤師を目指すようになったきっかけは、

小学4年生の頃、父親が胃下垂になって手術をしたこと

でした。

それがきっかけで、家族から医療関係に進むよう期待されていたこともあり、杉浦昭子氏自身も医療の道へ進もうと思ったのだとか。

こうして薬剤師を目指すことにした杉浦昭子氏は、岐阜薬科大学薬学部製造薬学科に進学。

大学で、後の夫となる杉浦広一元会長に出会うのです。

こうして、2人が出会い、結婚して創業したスギ薬局。

しかし、そのスタートは苦しいこと続きでした。

『企業家倶楽部』のインタビューで、その苦難が語られています。

1号店はわずか16坪の敷地で開いており、しかも資金は全額借り入れ。

そのうえ立地が悪かったので、

知名度も全くなく、最初は客が1日に1人の時もあった

のだそうです。

まずは借り入れ金を返さなければいけないのに、客足はなくてお金は儲からない…。

そのせいで、借り入れ返済のため生活費も切り詰める必要が出てきます。

杉浦家はかなり困窮し、ついには食費が出せなくなってしまい、開業当時は水と母親が買ってきてくれたせんべいだけで生活していたというのです。

杉浦広一・昭子夫妻が転機を迎えたのは、開業から5年目、アメリカにドラッグストアの視察に行ったことでした。

アメリカのドラッグストアは最先端で、

広い、明るい、処方箋調剤がある

など、日本にはないものばかりでした。

それを取り入れた結果、スギ薬局は急成長!

現在では中部地方を中心に、全国に1000店舗以上を持つドラッグストアとなりました。

杉浦広一氏は社長(2009年には会長)として、杉浦昭子氏は副社長(後に相談役)として長年会社を支えていくこととなります。

(杉浦昭子氏は副社長になったのが2008年なので、かなり遅めですが。)

最近のスギホールディングスは、2021年1月に、

  • 杉浦広一氏が会長を退き代表権のない顧問に就任、新たな会長は社長だった榊原栄一氏
  • 新社長は、杉浦広一氏の長男である杉浦克典氏が就任

という人事を発表し、創業夫婦は前線から遠ざかります。

ようやく、杉浦夫妻は安らげる時間を手に入れることができたのです。

スギ薬局社長・杉浦克典の経歴

杉浦克典

スギ薬局の現在の社長である、杉浦克典氏の経歴も見てみましょう。

杉浦克典社長は、杉浦広一・昭子夫妻の長男として、1978年10月14日に生まれました。

出身は愛知県西尾市です。

兄弟には弟の杉浦伸哉さんがいて、彼はスギ薬局の常務を務めています。

杉浦克典社長の出身高校は不明でしたが、大学は、

両親と同じ岐阜薬科大学

を卒業していることがわかっています。

卒業後の2003年には、スギ薬局に…と思いきや、ジョンソン・エンド・ジョンソンの日本法人に入社。

スギ薬局には、遅れて3年後の2006年に入社しています。

その後はスギ薬局、そしてスギグループ子会社・スギスマイルの取締役を務め、2014年3月にはスギスマイルの社長に就任。

2018年にはスギ薬局の社長、スギメディカルの副社長に就任しました。

スギホールディングスでは長らく副社長でしたが、2021年1月の人事によって社長となり、現在に至ります。

また、地元の有名人が走る2021年東京オリンピックの聖火リレーでは、

愛知県刈谷市の第7スロット走者

として、杉浦克典社長が走っています。

社長が聖火リレーのランナーに選ばれるほど、三河地域におけるスギホールディングスの貢献度が高いことが伺える一件ですね。

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まとめ

スギホールディングスの杉浦広一元会長と妻の昭子氏、そして長男の克典氏の経歴を紹介しました。

杉浦一家は、

次男の伸哉氏を除いて全員が岐阜薬科大学出身

であることには、かなり驚きでした。

(次男の伸哉氏は名城大学出身です。)

なかなか親子(両親どっちも)揃って同じ大学の出身というのは、珍しい。

母子だけ、父子だけというパターンはよくありますが…。

スギ薬局を開業当時は、食費すらままならないくらい生活が困窮していて、その苦難を乗り越えて今があるんですね。

こうした努力があったからか、愛知県への貢献度はかなり高く、

現社長の長男・克典氏が聖火リレーのランナーに選ばれる

という快挙も果たしています!

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