ガチ勢とエンジョイ勢の違いを解説!定義の境界線はどこにある?

ことゲームにおいては、

エンジョイ勢ガチ勢

というユーザー区分があります。

ただ、エンジョイ勢とガチ勢は、その人のものさしによって定義が異なるため、どこからどこがガチ勢なのか、一方でエンジョイ勢はどういう人たちなのでしょうか?

エンジョイ勢とガチ勢の境界線は非常にわかりにくいです。

この記事では、エンジョイ勢とガチ勢の違いと、両者の境界線がどこにあるのかを解説していきます。

ガチ勢とエンジョイ勢の違い

ガチ勢とエンジョイ勢は、どう違うのでしょうか?

どちらも、基本的にはゲーム用語で、

ゲームのプレイスタイル

を表しています。

それぞれ意味をチェックしておきましょう。

ガチ勢の意味

ガチ勢とは、ゲームにおいて、

  • 本気で取り組んでいる
  • ひたすら研究してやり込んでいる人

のことを指す言葉です。

わかりやすい例を挙げるなら、

  • ランキングでひたすら上位を目指す
  • 使用するキャラクターを自分の好みではなく、勝てるかどうかで決める
  • 収集要素を1つ残らずすべてコンプリートする
  • 最速クリアなどのタイムアタック要素を突き詰める

などのプレイ傾向ですね。

プレイヤースキルの上達や、ゲーム内の結果にこだわりを持つ人

が、ガチ勢だと考えることができます。

最近、『ガチ勢』という言葉は、ゲーム以外でも目にする機会が増えています。

けん玉ガチ勢なら、けん玉がめちゃくちゃ上手い人のことを指します。

ドラマ作品や漫画作品ガチ勢なら、その作品に関する知識を網羅し、グッズを片っ端から集めている人。

映画作品ガチ勢なら、上映期間中に何度も見に行く人など…

いまやゲーム界隈を飛び出して、現在のガチ勢という言葉は、

ある物事に対するマニアやコアユーザー

を指すようになりました。

中でも、プロ団体や組織が存在しないものに対して、ガチ勢という言葉は使われます。

意味が変わって、一般にも浸透するようになった言葉なので、ゲームをやらない人でも聞き馴染みが出てきましたね!

エンジョイ勢の意味

ガチ勢と対になる言葉として語られやすいのが、エンジョイ勢です。

エンジョイ勢とは、

言葉通り、純粋にゲームを楽しむ人たち

のことを指します。

例を挙げると、

  • RPGなら、やり込み要素はやらずにストーリーのクリアのみで終わる
  • 勝負要素のあるゲームなら、高度なテクニックやランキングなどは意識せず、純粋に試合を楽しむ
  • 強い弱いにかかわらず、自分の好きなキャラクターを使う
  • ゲームを人と交流するための手段として考えている

といったプレイ傾向の人を、エンジョイ勢と呼んでいます。

上記の傾向から、エンジョイ勢は、

やりたいことをやって、自分が楽しいかどうかという感情の結果を重視している人

と考えることができますね。

エンジョイ勢だと表現的にややこしいので、似たような言葉である『ライト勢』(ライトユーザーからきた言葉)を用いることもあります。

ガチ勢とエンジョイ勢境界はどこ?

ガチ勢とエンジョイ勢は、よく対義語として扱われていますが、

どこからどこをエンジョイ勢とガチ勢の境目とするか、その判断が難しいです。

その理由の1つが、ゲームの種類や個人の尺度によって、ガチ勢の捉え方が変わってくるからです。

要するに、

ガチ勢という言葉の絶対的な定義が存在しない

からこそ、境界線がはっきりしていないわけです。

実際のゲームを例にしてみましょう。

筆者が一時期、いわゆるガチ勢としてプレイしていた『ポケモン』で例えてみます。

『ポケモン』のガチ勢というと、最もメジャーなのが対戦です。

その他にも、色違い厳選勢、証厳選勢など、さまざまなガチ勢がいます。

このうち、対戦のガチ勢を先ほどの傾向に当てはめると、

ガチ勢は、ランクマッチでより高い順位を目指すために研究を重ねてパーティメンバーを練る人

のことを指します。

一方でエンジョイ勢は、

好きなタイプ統一パーティを使ったり、お気に入りポケモンをパーティに入れて戦う人

のことを指します。

しかし、ここで筆者には、1つ疑問が浮かびました。

お気に入りのポケモンをパーティに入れて、より高い順位を目指すために試行錯誤を繰り返し、パーティを煮詰めていく人

は、エンジョイ勢とガチ勢、どっちに分類されるのか?

コンセプト自体はエンジョイ勢よりの思考ですが、結果・目的にこだわり研究を重ねていく姿勢は、ガチ勢のそれと全く同じです。

そこで、筆者は思ったわけです。

ガチ勢とエンジョイ勢は対義語ではなく、両者は共存しうる存在なのでは?と…。

以前から疑問だったのですが、ガチ勢とエンジョイ勢を対義語としてしまうと、

まるでガチ勢はゲームを楽しんでいないように受け取られてしまいます。

しかし、

ガチ勢でもゲームを楽しんでいる人がほとんどです。

むしろ、楽しくないのにゲームをガチでやっている人なんて稀な存在です。

ガチ勢だって、楽しみ方を見失ってモチベーションがなくなれば、そのゲームから離れるなり引退するなりのアクションを起こすはず。

ガチ勢とエンジョイ勢は混在しうるものと思う、もう1つの理由が、先ほど触れた、

絶対的な定義が存在しないこと

絶対的な定義が存在しないとどうなるか?

個人の認識による違い

が生じ、自分ではエンジョイ勢だと思っていても、人によってはガチ勢に思われたり、逆のパターンが起きるのです。

例えば、Aさんがある1つのゲームを100時間、Bさんが500時間、Cさんが1000時間プレイしていたとします。

Aさんは、

「B、お前すごいな、そんなにやり込んでるなんてガチ勢じゃん」

と思うわけですが、それに対してBさんは、

「いやいや俺なんて全然ガチじゃないよ、確かにハマってはいるけど、Cくらいやってるような人をガチ勢って言うんだって」

と返し、自分はガチ勢なんかじゃないという認識でいるのです。

Aさんから見ればBさんはガチ勢だが、Bさんは自分をガチ勢だとは思っておらず、ここで認識の違いが生じています。

Bさんの立場は、ある人から見ればガチ勢に見えるが、Bさん自身の中では、自らの思うガチ勢の基準には満たしていないことになりますね。

このように、個人の認識による差や、ゲームにおけるガチ勢とエンジョイ勢の絶対的な定義がないことから、ガチ勢とエンジョイ勢の境界は、

プレイ傾向から個人が判断するため、非常にぼやけ、混在しうるもの

ということですね。

スポンサーリンク

まとめ

ゲームにおけるガチ勢とエンジョイ勢の違いは、

エンジョイ勢は、自分のこだわりをもってプレイしたり、ゲームの結果より楽しさを重視する傾向

ガチ勢は、ゲームの結果にこだわって、研究やプレイスキルを磨くことでよりよい結果を求める傾向

に分けることができます。

しかし、両者は場合によっては共存するものであり、水と油のようにはっきり分けれるわけではありません。

そして、何事においても当てはまることですが、個人にはそれぞれの考え方があり、ある物事に対する尺度が変わってきます。

『1+1=2』のような、絶対的な定義がない限り、答えは人の数だけ存在するということであり、

ガチ勢とエンジョイ勢の境界は、ある程度絞り込むことはできても、明確な分かれ目は個人の尺度で異なるため、実際は混在するものである

と考えていいと思います。

だからこそ、ガチ勢とエンジョイ勢を巡る論争が何度も巻き起こったりするのでしょうね…。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする