吉本興業が主催している、ピン芸コンクールが『R-1ぐらんぷり』です。
しかし、この『R-1ぐらんぷり』、ある1つのジンクスがあるそうで…
『R-1ぐらんぷり』で優勝しても、あまり売れない
などと言われているのだとか。
このジンクスが本当なのか、気になるところです。
当記事では、『R-1ぐらんぷり』の歴代優勝者一覧と、優勝者のその後について調査しました。
一体、何人の芸人がブレイクしたのでしょうか?
R-1ぐらんぷり歴代優勝者とその後
『R-1ぐらんぷり』は、
優勝者がほとんどブレイクしない
というジンクスがあるそうですが…本当なのでしょうか?
似た名前の大会だと、『M-1グランプリ』の優勝者は、多くがブレイクしているだけに、本当に『R-1ぐらんぷり』にそのようなジンクスがあるのか疑わしいですよね。
その真相を確かめるには、『R-1ぐらんぷり』の歴代優勝者を確認してみるのが一番手っ取り早い!
ということで、『R-1ぐらんぷり』の歴代優勝者と、優勝者のその後の経歴を簡単に紹介します。
これまでに『R-1ぐらんぷり』は、これまでに18回開催され、17人の優勝者が生まれました。
1人ずつ、チェックしていきましょう!
第1回(2003年)優勝者 だいたひかる
記念すべき第1回『R-1ぐらんぷり』の優勝者は、唯一の女性芸人優勝者であるだいたひかるさんでした。
優勝当時、だいたひかるさんは無所属で優勝しましたね。
その後は「どーでもいいですよ」のネタが人気となり、『エンタの神様』などに出演はしていましたが、ネタ番組時代が終わり、トークバラエティ時代になるとテレビでほとんど見なくなりました。
近年では、不貞騒動での離婚から再婚、乳がんの治療などで話題にはなりましたが、テレビに出る機会は少ないです。
ただ、2018年には自身の文房具ブランド『WATASHIDAKE?』を設立するなど、文房具好き芸人として活躍中です。
第2回(2004年)優勝者 浅越ゴエ
浅越ゴエさんは、お笑いユニット『ザ・プラン9』のメンバーの1人です。
彼は、ピンとして『R-1ぐらんぷり』に出場して優勝を果たしました。
アナウンサーに匹敵する滑舌のよさを生かした『しっくりこないニュース』のネタが人気となった浅越ゴエさんは、優勝後にさまざまなテレビでレギュラーを担当。
滑舌の良さという武器もあるからか、浅越ゴエさんは現在も関西や地方局のテレビ番組やラジオのレギュラーを多く持っていて、安定した出演数を誇っていますね。
浅越ゴエさんは、売れないジンクスに当てはまらない人物と言えます。
第3回(2005年)優勝者 ほっしゃん。(現・星田英利)
現在は、本名の星田英利で活動していますが、優勝した当時はまだ旧芸名のほっしゃん。でした。
ほっしゃん。さんは『R-1ぐらんぷり』後も活躍している芸人の1人。
現在では、役者としてテレビドラマに多く出演していますよね。
『R-1ぐらんぷり』で優勝したことで知名度が上がり、その後は『すべらない話』で2回MVSを取ったり、近年ではNHKの朝ドラ『カーネーション』での演技力が評価されていました。
ほっしゃん。さんは売れないどころか、『R-1ぐらんぷり』優勝が知名度を上げてくれたため、優勝後にブレイクした芸人であると言っていいでしょう。
第4回(2006年)優勝者 博多華丸
博多華丸さんも、『R-1ぐらんぷり』優勝後にブレイクした芸人の1人…かもしれません。
なぜ、かもしれません…とあやふやなのかというと、実は『R-1ぐらんぷり』前に博多華丸さんは全国的に知名度を上げているからです。
東京進出直後に、博多華丸さんは『とんねるずのみなさんのおかげでした』の第6回『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』で児玉清さんのモノマネをして優勝。
続く第7回も優勝し、番組唯一の連覇としてお茶の間に知名度を轟かせていたのです。
その翌年の2006年になり、『R-1ぐらんぷり』で優勝すると、博多華丸・大吉はコンビとしてもブレイクしました。
現在は、NHKの『あさイチ!』のキャスターとして朝の顔になったり、『有吉ゼミ』のレギュラーとして出演するなど活躍中。
優勝後に売れないどころか、逆にブレイクしたパターンとも言えますね。
第5回(2007年)・第6回(2008年)優勝者 なだぎ武
2020年現在、唯一の『R-1ぐらんぷり』2回優勝経験者にして連覇を達成しているのが、なだぎ武さんです。
なだぎ武さんは、浅越ゴエさんが所属している『ザ・プラン9』の元メンバー。
ディラン・マッケイに扮したネタで大人気となったなだぎ武さんも、ブレイクした芸人の1人ですね。
バラエティ番組に数多く出演したほか、近年では主に俳優としてドラマや映画で活躍中。
2018年には、『吉本坂46』のメンバーにも選ばれました。
第7回(2009年)優勝者 中山功太
第7回の優勝者・中山功太さんは、一応ブレイクはしたため、売れなかったかと言われるとちょっと違うような気がします。
『R-1ぐらんぷり』優勝後、全国的に知名度が上がった中山功太さんでしたが、当時大阪に帯番組を持っていたため、なかなか上京できず、上京したのは1年後の2010年3月。
上京した時には既にお笑いの流行が変わっていたことや、天狗になり過ぎて他の人を見下していたことで一気にどん底へ…
一時期は、
月収22円
になるほどまで転落しました。
第8回(2010年)優勝者 あべこうじ
あべこうじさんは、6回の決勝進出の末に、第8回に優勝。
その後は多くの番組に出演しました。
現在はテレビ出演は全国区ではそれほど多くなく、2020年3月7日の『メレンゲの気持ち』に出演したのが久しぶりでしょうか。
プレイベートでは、2014年に妻の元『モーニング娘。』の高橋愛さんと結婚して話題にもなりましたね。
第9回(2011年)優勝者 佐久間一行
第9回優勝の佐久間一行さんは、『R-1ぐらんぷり』優勝後もテレビには、ほとんど出演できず、パッとしなかった印象があります。
…が、しかし、実は舞台や営業で大活躍!
2016年に全国ツアーを開催した時には、公演はすべて完売する人気ぶり。
ピン芸人では全国ツアーを開くのは難しいと言われるだけに、ピン芸人として立ち位置を確立できています。
舞台で活躍できているので、もうテレビに出る必要もないのかもしれませんね。
第10回(2012年)優勝者 COWCOW 多田
2012年に優勝したのは、お笑いコンビCOWCOWの多田健二さんです。
コンビとしても実力がありますが、COWCOW多田さんはピンとしてのネタ数も非常に豊富。
『R-1ぐらんぷり』では、『50音ギャグ』のネタで優勝しました。
COWCOWの場合、既にコンビとしての知名度があったので、優勝がブレイクに繋がるというような時代は既に過ぎています。
ただ、2017年に相方の善しさんの離婚騒動があったせいか、レギュラー番組がどんどん減り、今では営業やネタ番組での出演が中心となっています。
第11回(2013年)優勝者 三浦マイルド
第11回の優勝者・三浦マイルドさんは、その名前を覚えている方が少ないくらい、現在では全く姿を見なくなりました。
優勝後はテレビで見かける機会が増えるのですが、一発屋のように一瞬でテレビから消えてしまい、営業で売れているかと言われるとそうでもありません。
なんと芸人としての月収は、3万円程度。
『R-1ぐらんぷり』優勝時に散財した結果、親に渡した賞金も返してもらい、一度は卒業したアルバイト生活に再び転落する悲惨な現在になってしまったのです。
第12回(2014年)優勝者 やまもとまさみ
吉本以外に所属している芸人として、初の優勝(だいたひかるさんは無所属だったので例外)を果たしたのが、やまもとまさみさんでした。
しかし、三浦マイルドさん同様、優勝後もあまりぱっとしないどころか…
あまりに売れなさすぎて、マセキ芸能社を解雇されてしまいました。
ネタ番組やコント番組が減り、トークバラエティ中心になっているため、トークが苦手なやまもとまさみさんは全く活躍できなかったのです。
そして、フリーを経て佐藤企画に所属し、現在も芸人として活動はしていますが…
知人の紹介で出会った『ジェラフル』の吉田社長から勧められ、クレープ屋『ジェラフル小田原店』のオーナーになりました。
現在では、2店舗目の町田店も経営しており、副業をしながらの生活を送っています。
第13回(2015年)優勝者 じゅんいちダビッドソン
サッカーの本田圭佑選手のモノマネで一躍人気となったじゅんいちダビッドソンさん。
『R-1ぐらんぷり』優勝後にブレイク!とまではいきませんでしたが、本田圭佑選手のモノマネをしているだけあって、
本田圭佑選手に何らかの動きがあるたびに仕事が増えるため、現在もコンスタントにテレビや営業などができている
という、可もなく不可もなしな珍しい例と言えますね。
第14回(2016年)優勝者 ハリウッドザコシショウ
ハリウッドザコシショウさんは、もともと『あらびき団』の最多出演回数を誇り、『キング・オブ・あらびき』と言われるなど、そこそこの知名度自体はありました。
その後、2016年の『R-1ぐらんぷり』で優勝を果たすと、知名度が一気に上がりブレイク!
多くのバラエティ番組に呼ばれるようになりました。
もともと、松本人志さんから
「トークはできるほう」
と評価されているため、現在も『水曜日のダウンタウン』や『勇者ああああ』、『ウチのガヤがすみません!』など全国区のバラエティ番組にも不定期に出演中。
見事ブレイクを果たした芸人の1人と言えるでしょう。
第15回(2017年)優勝者 アキラ100%
2017年の優勝者・アキラ100%さんは、全裸に股間をお盆で隠しただけの姿でネタを披露するインパクト十分な芸人です。
『R-1ぐらんぷり』優勝後はテレビで見かける機会が増えましたが、現在は落ち着いてきた印象がありますよね。
しかし、実は全裸にお盆とは違った姿で活躍中なんですよ。
実はアキラ100%さん、高校では演劇部、大学で小劇場で活動、卒業後は俳優養成所にも通っているほどの俳優志望だったのです。
その夢をかなえ、現在は俳優として着実にキャリアを積んでいます。
多くの映画やドラマに出演し、2020年1月から放送されている『トップナイフ-天才脳外科医の条件-』では、織田直人役として、ついに地上波ドラマで初レギュラー出演!
今後は、俳優としての活動を中心にすることが予想されます。
『R-1ぐらんぷり』で注目された結果、自分の夢を叶えることができた、ブレイクとは違いますが、良い結果となった例ですね。
第16回(2018年)優勝者 濱田祐太郎
2018年に優勝したのは、生まれつき左目が見えず、右目も明暗がわかる程度という視覚障害を持つ漫談家・濱田祐太郎さんです。
視覚障害であることを持ち味にしたネタで優勝しましたが、やはりデリケートな部分がテレビでは扱いにくく、ブレイクには至らず。
現在は、ラジオなどを中心に活動しています。
第17回(2019年)優勝者 霜降り明星 粗品
2019年の『R-1ぐらんぷり』を制したのは、お笑いコンビ『霜降り明星』の粗品さんです。
粗品さんの場合、前年の2018年に『M-1グランプリ』で優勝して既にブレイク済みなため、ここでは割愛します。
第18回(2020年)優勝者 マヂカルラブリー 野田クリスタル
2020年3月8日におこなわれた『第18回R-1ぐらんぷり』を制したのは、お笑いコンビ・マヂカルラブリーの野田クリスタルさんです!
つい最近優勝したばかりなので、まだブレイクするかどうかは不明です。
もともとコンビの実力は『M-1グランプリ』、『キングオブコント』のファイナリスト経験があるだけに十分。
あとはチャンスを活かせるか次第ですね。
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まとめ
今回は、『R-1ぐらんぷり』の歴代優勝者とその後を紹介しました。
こうして歴代の優勝者たちを見てみると、博多華丸さん、星田英利さん、なだぎ武さんなど、優勝後にブレイクした人も多く、売れないジンクスは嘘のように思います。
ただ、筆者は『R-1ぐらんぷり』優勝者が、その後ブレイクしたかどうかについて、時代も影響しているように感じましたね。
ゼロ年代前半は『エンタの神様』を筆頭にネタ番組が多かったのに対し、今はトークバラエティが多い時代です。
そのため、ブレイクするにはコントや漫才力だけでなく、トークスキルも求められます。
ブレイクできなかったマイルド三浦さんや、やまもとまさみさんは、そういったテレビの時代に合わなかった、という不運な要素もあったのではないでしょうか。