アルバニアが鎖国とネズミ講で経済破綻の真相と日本嫌いの評判

「『アルバニア』という国を、知っていますか?」

と聞かれて

「知ってるよ!」

と自信を持って答えられる人は、おそらく多くはないでしょう。

実は筆者も、ひょんなことで知るまでは、アルバニアが、どこにあるどんな国なのか、まったく知りませんでした。

でも、この国、とても個性的な歴史をたどってきた国なんです。

なんと

つい数十年前まで鎖国や宗教禁止の政策をしていたし、ネズミ講で経済破綻したことがある

という国。

「えっ、ネズミ講で国が破綻!?何それ?」

ということで、調べてみたら、かなり興味深い話でした。

外国や歴史に興味のあるあなた、そしてネズミ講に興味があるあなた、ぜひ読んでみてくださいね!

アルバニアの鎖国とネズミ講で経済破綻した真相

アルバニアの名所の1つ、ベラト

アルバニアってどんな国?

まず、『アルバニア』という国について、ざっと紹介しましょう。

正式名称は『アルバニア共和国』

アルバニアがあるのは、東ヨーロッパのこの場所です。

アルバニアはアドリア海を挟んでイタリアの向い

アルバニアはアドリア海を挟んでイタリアの向い

イタリアの長靴の、ヒールの部分のお向かいですね。

あのジブリ映画『紅の豚』の舞台にもなった、アドリア海に面しています。

『ティラナ』という都市が首都です。

面積は総計で28,748キロ平方メートル。

四国の約1.5倍くらいの広さです。

人口は3,011,405人(2019年時点)で、これは千葉県の人口の半分弱くらい。

国土自体は大きくはなく、人口も多くない感じです。

公用語はアルバニア語。

でも、イタリア語を話せる人が、かなり多いです。

宗教は、

イスラム教徒が7割くらい

を占めていますが、キリスト教の東方正教やカトリックの信者も多い国です。

と、アルバニアはこういう感じの国です。

では、いよいよアルバニアの鎖国とネズミ講の話に行きましょう。

アルバニアが鎖国してから、鎖国が解かれるまで

アルバニアの鎖国が解かれたのは、なんと1992年。

これを書いている今が2019年ですから、まだ30年もたっていません。

そもそも、なぜ鎖国をしたかというと、

  • 社会主義の国だったため、冷戦時代は『西側』と言われる国(アメリカやフランスなど)とは距離を置いていた
  • ユーゴスラビアやソ連(ソビエト連邦)、中国とも考えが合わず、距離を置いた

ということからです。

では、まずそのあたりからお話していきましょう。

西側諸国と距離を取っていたアルバニア

冷戦時代は『西側諸国』と『東側諸国』の仲が良くなかった

という話を聞いたことがある人もいるでしょう。

ごくおおざっぱに言うと、この時代は多くの国々が

  • アメリカを中心とする資本主義・自由主義の国(西側)
  • ソ連を中心とする共産主義・社会主義の国(東側)

に分かれて対立していた時代でした。

アルバニアは、『東側』だったため、西側の国々とは距離を置いていたのです。

独裁者によって、仲間のはずの東側諸国とも国交断絶

でも、アルバニアは、

西側だけでなく東側の国とも国交断絶

してしまいます。

当時アルバニアを収めていたのは、独裁者エンベル・ホッジャ

ホッジャさんは、ソ連が好きで、中でもソ連の政治家スターリンが大大好き!

そのため、ユーゴスラビアや、ソ連とは仲良くしていたようです。

でも、ユーゴスラビアがソ連と違う方向性を取り始めたため、国交断絶。

そして、ソ連好きなはずなのに、なんとソ連とも国交断絶。

これは、

スターリンの後継者、フルシチョフがスターリンを批判したこと

が原因だそうです。

いくらスターリンが大好きでも、批判したからって国交まで断絶しちゃうなんて…って感じですね。

その後のアルバニアは、中国と仲良くしようとします。

その理由は、中国も、スターリンを批判したフルシチョフを良く思っていなかったから。

きっと

「中国とは、考えが合いそうだ!」

と思ったのでしょう。

でも、当時の米大統領ニクソンが中国を訪問し、

「どうやら、アメリカと中国が仲良くなりそうだ」

という気配が見えたことから、中国とも国交断絶。

そしてアルバニアは、実質的に鎖国状態に入ってしまったのです。

と、ざっくりとした説明をしましたが、これだと、まるで

なにか気に入らないと、すぐ国交断絶しちゃう国

みたいですよね。

でも、これはあくまでも『ざっくり』の説明です。

実際は、もっと複雑で、ホッジャさんなりに、いろいろと考えた上のことなのでしょう。

なにしろ、国家がかかっていることですからね。

アルバニアは完全鎖国状態に

そんなわけで、

1978年から、アルバニアは鎖国状態になってしまいます。

日本でも、江戸時代に鎖国をしていましたよね。

それでも日本の鎖国は、オランダと中国とは国交がありました。

アルバニアの鎖国はどうかというと、

完全な鎖国で、すべての国と国交を絶ってしまったのです。

そのため、他国にアルバニア国内の様子が伝わらず、

『謎の国』

とまで言われるようになってしまいました。

当然、アルバニアの国の人も、国外の様子を知ることができません。

でも、イタリアのラジオの電波が届いたため、イタリアのラジオで世界情勢を知る人もたくさんいました。

『アルバニアにはイタリア語を話せる人が多い』

ということには、そういう経緯があったのです。

宗教まで禁止して『無神国家』に

アルバニアでは、

宗教が禁止された時期もありました。

なぜ宗教を禁止したか。

それは、中国に接近している時期に、中国で『文化大革命』が起きたことがきっかけです。

『文化大革命』は、完全な共産主義に近づこうとするためのもので、資本家を排除し、宗教も否定しました。

それに触発されたホッジャが『無神国家』を宣言して、宗教を禁止。

でも、そもそもアルバニアには、イスラム教徒がたくさんいました。

それに宗教は、信じている人にとっては、とてもとても大切なものですよね。

そのため、宗教禁止で国民も、かなり混乱したようです。

潜伏キリシタンのように、こっそり信仰を守っていた人たちも、きっと多かったことでしょう。

独裁者ホッジャ、ついに退陣

さて、そんなアルバニアですが、

鎖国したため経済状態が低迷してしまい、『欧州最貧国家』とまで言われる

ようになってしまいます。

当然、国民からの抗議も激しくなりますよね。

その結果、独裁者ホッジャも、ついに退陣を余儀なくされました。

それが1989年のことです。

その3年後、選挙によってアルバニア初の民主党政権が生まれました。

そしてアルバニアは民主化へ。

独裁主義から民主主義へ、と変われば、国が良くなりそうですよね。

でも、これが噂の『ネズミ講で国が破綻』に続く道でもあるのです。

アルバニアでネズミ講が大流行!?

いよいよ、アルバニアとネズミ講の話です。

日本では、ネズミ講に騙されたとしても、個人的なことですよね。

なぜ、アルバニアではネズミ講が国に影響するようなことになってしまったのでしょうか?

アルバニアにネズミ講がやってきた!

民主政党が政権を取ったことで、アルバニアも民主化され、鎖国が解除されました。

そして、自由経済に政治の舵が切られ、経済の自由化がすすめられます。

でも、あまりに急に自由経済になったため、国内が混乱し、経済犯罪が多発したのです。

この時期に入ってきたのが、国外のネズミ講会社。

新しく自由経済になったばかりの国で、一旗揚げようとアルバニアにやってきたのです。

国民の大半がネズミ講に加入

日本では『ネズミ講』に入る人って、そう多くはないですよね。

そもそもネズミ講は違法です。

合法のマルチ商法(ネットワークビジネス)でさえ、入る人は少ないです。

でもアルバニアでは、

なんと国民の大半がネズミ講に入ってしまったのです。

なぜそんなことになってしまったかというと、それまで鎖国状態で、社会主義国家でもあったため、

国民が自由経済や市場経済での金融について学ぶ機会がなかったから

です。

そのため、ネズミ講の何がどう危ないのか、気付かないまま、

「自由経済での投資ってこういうものなのだろう」

と思い込んでしまったのです。

ネズミ講会社にとって、

アルバニアの人々が、経済についての知識がなかった

というのは、好都合だったことでしょう。

国がネズミ講を黙認

アルバニアで、ネズミ講がはびこったのは、人々の知識のなさだけが理由ではありません。

国が黙認していた

ことも、大きな理由の1つです。

なぜ国が黙認したかというと、

集めた資金で武器を買い、それを周辺の紛争中の国に売ることで、外貨が得られたからです。

そして、ネズミ講会社では、武器密輸で得た収入で、加入者への配当も払っていました。

しばらくの間、加入者はある程度の利益を得られていたのでしょう。

そういう仕組みだったので、国はネズミ講も武器の密輸も黙認していたのです。

ちなみに、この時期のアルバニアは、武器密輸から違法薬物などの組織犯罪にも関わり、汚職もはびこっていました。

自由経済化って良いことのようですが、一歩やり方を間違えると、大変なことになってしまうんですね…。

ネズミ講で経済破綻

武器密輸で利益を得ていたとはいえ、ネズミ講もやはり長くは持ちません。

結局は、破綻してしまいます。

ただアルバニアのネズミ講の破綻は、これも一風変わっていました。

ネズミ講の破綻は、国家を巻き込んだ大騒動になってしまったのです。

なぜアルバニアのネズミ講が破綻したのか

アルバニアのネズミ講が破綻したのは、『入会する人がいなくなったから』という、ネズミ講によくあるパターンではありませんでした。

破綻の理由は、

周辺諸国の紛争が終結

したからです。

周辺諸国で続いていた紛争が終わると、武器は不要です。

となれば、武器密輸のビジネスは立ち行かなくなります。

そして、武器密輸で得られていたお金で回していたネズミ講も、配当が払えなくなり、破綻したのです。

暴動勃発、国家転覆へ

「紛争が終わって、武器が要らなくなって、ネズミ講も潰れてめでたしめでたし!」

と言いたいところですが、そうはいきません。

先ほども書きましたが、アルバニアのネズミ講には、国民の大半が加入していました。

そのため、

ネズミ講破綻によって、国民の3分の1近くが全財産を失う

という事態に。

もちろん、全財産ではなくても、多くの財産を失った人がたくさんいました。

そして、アルバニアの経済は、もともと弱かったため、経済破綻してしまったのです。

当然、国民は怒りますよね。

「政府が、国民を詐欺から守らなかった!」

という不満が募って、暴動が勃発。

この暴動は、かなりの規模で、アルバニアの主要都市のほとんどに広がって行きました。

もちろん、政府側は鎮圧しようとします。

衝突も起き、内乱状態にまで発展し、国家は転覆状態。

他国では、アルバニアから自国民の退避を進める動きも活発化しましたし、

最終的には国連軍が動き出す

という、大変なことになってしまいました。

この内乱は、国連軍が介入し、首都のティラナなどを監視するなどで、終結に向かいました。

内乱の後

内乱の終息後も、国民には不満が残りました。

そもそも、ネズミ講も、アルバニアの民主党の経済政策が元で起こったこと。

そのうえ、暴動の時には警察などに弾圧もされたわけですから、不満が残って当然です。

民主党政権は、社会党と連立し、なんとか国民の憤りを収めようとしたものの、収まりませんでした。

1997年に総選挙が行われ、アルバニア社会党が与党となることで、やっと一応の沈静化へ向かったのです。

でも、その後すぐに、ネズミ講破綻の影響が解消されたわけではありません。

20年少し経った今でも、生活が楽ではない人も多いです。

政治の動きから、国民の生活が大きく振り回されてしまうことって、ありますよね。

政治による混乱が本当に収束して、国民が安心して暮らせるようになるには、とても時間がかかります。

アルバニアも、まだまだその道の途中なのでしょう。

アルバニアは今どうなってる?

今現在のアルバニアは、治安も悪くなく、観光客が訪れるほど穏やかです。

国民も、ほんの30年ほど前まで鎖国していたとは思えないほど、当たり前のように海外から入ってきた食べ物や文化に触れています。

  • 昔の宗教禁止の影響でモスクが少ない
  • 防空壕やトーチカ(防護陣地)があちこちに残っている

など、昔の面影も残ってはいますが、落ち着いている様子です。

ただ、先にも書いたように、今でも豊かな生活を送れていない人も、少なくありません。

経済発展というところでは、これからなのでしょう。

無神国家政策での宗教禁止も解かれたため、今は宗教も自由です。

それぞれの信仰は残りつつ、あまり厳格ではないようで、キリスト教のクリスマスや復活祭もイスラム教のラマダン明けも、盛大にお祝いするとのこと。

日本が、クリスマスもお正月も楽しむのと、似ているかもしれませんね。

アルバニアは日本嫌いという評判は本当か

アルバニアのオールドバザール

アルバニアは日本嫌い?

アルバニアが日本嫌いなのかどうか、調べてみたのですが、

『アルバニアの人は日本嫌い』という情報は、ありません。

『アルバニア 日本』で検索すると

『アルバニア 日本嫌い』

という検索候補が出てきます。

でもこれは、

アルバニアの人たちが日本を嫌っているというわけではない

でしょう。

おそらく、アルバニアについて検索した人が

『アルバニアは日本が嫌いなのかどうか』

を調べようとするため、検索候補に挙がってくることが推測されます。

おそらく現在は、

好き嫌い以前に、お互いよく知らない

という状況です。

日本では、アルバニアはあまり知られていません。

アルバニアの人も、おそらく日本のことをよく知らないでしょう。

交流が少なく、2017年時点で、

在留している日本人は、わずか17人ほど

ですから。

でも、アルバニアに旅行した人の中には、

「日本にとても興味があると言っていたアルバニア人に出会った」

「一時期日本で仕事をしていた人に出会った」

という人も。

数は少なくても、日本に縁のあるアルバニア人、アルバニアに縁のある日本人もいるのです。

これから交流が増えて、仲良くなっていけるといいですね。

アルバニアの評判

では、アルバニアの評判はどうなのでしょうか。

訪れた人の評判や、観光地を調べてみました。

アルバニアを訪れた人の感想

アルバニアに行った人の感想や観光案内などを見てみると、

  • ベラットの『千の窓』が圧巻だった
  • ドラクエに出てきそうな町があって、ワクワクした
  • オスマン帝国時代に改修されたお城に、第1次世界大戦当時の戦車や大砲が残っていて、感慨深かった
  • ブルーアイが美しくて感動した
  • 観光客へのホスピタリティが高い

など、このような感想があります。

一方で、

  • ご飯が口に合わなかった
  • あまり親切じゃない人に出くわしてしまった

というような感想もありましたが、これはどこの国でもあり得ることでしょう。

アルバニアの観光地

アルバニアには

  • ベラトとジロカストラの歴史地区
  • ブトリントの考古遺跡群
  • オブリド地域の自然・文化遺産
  • カルパティア山脈などの欧州各地のブナ原生林群

と、4つの世界遺産があります。

ポイント

ブナ原生林群は、なんと12か国にまたがる世界遺産です。

特に有名なのが、『ベラトとジロカストラの歴史地区』。

これはオスマン帝国時代に作られた城塞都市で、イスラム的な雰囲気を感じることもできます。

ベラトの村は『千の窓を持つ町』と言われ、伝統家屋を利用した宿泊施設があります。

ブトリントの見どころは、円形劇場や公衆浴場、神殿など、古代都市の跡など。

近年、紀元前8世紀前から人が住んでいたことがわかり、今も調査が続いているとのことです。

内乱時代は『危機遺産』に入ってしまいましたが、2005年に危機遺産から脱することができました。

その他にも、

  • 15世紀から続くオールドバザールのある町『クルヤ』
  • ローマ時代の円形劇場の遺跡や考古学博物館のある首都『デュラス』
  • 絶景の泉『ブルー・アイ』
  • 国内に75万個とも100万個とも言われるトーチカの跡

など、古くからの歴史や自然を感じられる場所が、いくつもあります。

アルバニアで内乱があったと聞くと

「治安は大丈夫かな…」

と気になるかもしれませんが、

今は治安も良くなっていますし、観光客誘致もしているので、普通に旅行に行けます。

  • 考古学や遺跡などが好き
  • 海外へ行くなら、他の人があまり行かない国に行きたい
  • いわゆる欧米諸国とは一味違う文化を見てみたい

という人には、アルバニア、おすすめです!

なお、『鎖国時代の雰囲気を感じてみたい』という人は、早めに行ってみると良いでしょう。

こうした史実の名残は、時間が経過すると、どうしても雰囲気が薄れてしまいますからね。

スポンサーリンク

まとめ

アルバニアは社会主義の国でした。

冷戦時代、西側諸国とは距離を置き、そして東側諸国とも国交を断絶したため、鎖国状態に。

そして鎖国が解かれた後に、ネズミ講がはびこってしまったのです。

ネズミ講がはびこったのは、

  • 国民が市場主義の経済について知識を持っていなかったため、ネズミ講の危険性に気付けなかった
  • ネズミ講で得た資金による武器密輸ビジネスで外貨を獲得できたため、国も黙認してしまった

という理由からです。

鎖国で経済状態が厳しかったため、

藁にもすがる

という感じで、アルバニアの国自体がネズミ講を黙認してしまったのでしょうね。

その後、ネズミ講の破綻によって、国の経済も破綻し、内乱状態にまでなってしまいました。

そんな歴史をたどったアルバニアですが、今は治安も落ち着き、観光にも行ける国です。

興味が沸いたら、ぜひ訪れてみてくださいね!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする