真田幸村こと本名・真田信繁は、
ゲームでは、必ずと言っていいほどイケメン
に描かれていますよね。
そして、史実としての活躍の割に、なぜかパラメータが過大評価されていて、
顔も能力、あらゆる面で過大評価されている武将の1人
と言えるでしょう。
本当に、顔はそんなイケメンであったのか、そのあたりが気になるところ。
そこで今回は、戦国武将・真田幸村は、ほんとうにイケメンだったのか、彼の顔画像などを資料から調べてみました!
真田幸村は本当にイケメン?
『真田幸村』という名前は、実は後世で生まれたものであり、当時の彼は、
真田信繁
という名前でした。
筆者としては、伝説上の美化された存在のことを真田幸村、実際に存在した武将を真田信繁と呼び分けているのですが、ややこしくなるので、ここでは真田幸村と統一します。
(個人的には、あまり真田幸村と呼びたくない…。)
そんな真田幸村ですが、ゲームやアニメといった創作作品では、イケメンに描かれていますよね。
たとえば、このような感じに…
ちょっと美化されすぎでは?
と感じた人はいるはずです。
実際のところ、実情の真田幸村は本当にイケメンだったのでしょうか?
現在までに残されている真田幸村の顔がわかる画像(肖像画)を紹介しましょう。
真田幸村の肖像画がこちらです。
イケメンとは言い難いですよね…。
この画像の顔の真田幸村は晩年ということで、かなりの年配に見えます。
ただ、真田幸村は49歳で亡くなっています。
49歳で、この肖像画は相当に老けているようにも見えますよね。
まぁ、九度山に幽閉されていた時に苦労した結果、頭が禿げてしまい、歯も抜けていましたから、仕方ないのかもしれません。
顔の特徴を見てみると、切れ長の目、すっととおった鼻筋、小さめの口元など…
イケメンの条件も整っているため、若かった頃はイケメンだったと言えないこともありません。
しかし写真と違って、絵は描く人の感覚と印象で描くものです。
ですから、描く人が、その人物をどのように感じ取ったかによって、まるで別人のように見えることもあります。
写真があれば…と思うところですが、さすがに戦国時代に写真はありません。
そこで比較的確実なモノとして、現在では
遺骨があれば、そこから容貌や体型などを復元する技術
があります。
かなり正確に、真田幸村の生前の容貌や体型などを確認できるでしょう。
具体的には、
- 復顔法
- 復顔技術
などと呼ばれる技術です。
しかし残念ながら、日本でこの技術は、欧米より遅れています。
さらに、復顔するためには、その人の頭蓋骨が必要です。
残念ながら、真田幸村の遺骨は残されていません。
よって、復顔法による復元はできないのです。
真田幸村は、
大阪城入城の時には、歯は抜け落ち、頭は禿げていた
ので、旧知の人にも真田幸村とはわからなかったそうですし、当時は真田幸村の首を取ったという人がたくさん現れ、
真田幸村の首とされるものが、大量にあった
ということです。
では、当時を生きていた人に、真田幸村がどのように映っていたのでしょうか?
古文書による真田幸村の容姿の記録は、九度山から木村綱茂という家臣に送った、自筆書状が残っています。
それによると、
「年のせいで、歯が抜け髭も真っ白になってしまった」
とあります。
また、大坂の陣で、後藤又兵衛の家臣だった長沢九郎兵衛が書いた、『長沢聞書』(ながさわのききがき)という古文書もあります。
これには、主君の後藤又兵衛のことが記されているのですが、一部は真田幸村に触れており…
真田幸村は、年は45~6歳に見えた。
顔には2.3寸(6-9センチ位)の刀傷があり、小柄な人だった。
と書かれていたみたいです。
信濃松代藩が編纂した『先公実録』には、兄である信幸が、真田幸村を評した記述があるそうです。
真田幸村の勇名が天下に轟いているのは、道理である。
そのふるまいは口数少なく、穏やかで猛々しくはなく、滅多に怒らない。
という内容です。
兄として、弟の真田幸村のことは、高く評価していますが、この文書自体の信憑性はあまり高くないようです。
ここまでの記述をまとめると、大坂の陣の頃の、真田幸村の人物像はこうなります。
小柄で髪は白く、歯は抜けていて顔に刀傷があり、口数少なく温厚篤実、めったに怒らない45~6歳の男性
うーん…
あまりイケメンのイメージにはならないですね。
では、なぜ『真田幸村=イケメン』の図式が、現在は定着しているのでしょうか?
ひとつには、
『悲運の名将というイメージ』
から、白髪歯抜けのお爺さんではピンと来ず、
「ここはやはり颯爽としたイケメンでなくちゃ!」
という、思い込みからでしょう。
もうひとつは、小説やテレビドラマ、あるいはゲームでの、華麗鮮烈な活躍ぶりから、
「華々しく凛々しいさまは、やはりイケメン!」
という理想化によるものと思われます。
その結果、『真田幸村 画像』で検索して出てくる画像が、ほとんどがテレビドラマやゲームでのイケメンの真田幸村像ばかりになったわけですね。
というわけで、残念ながら…
稀代の名将である真田幸村の顔は、イケメンではなかった
という結論になりそうです。
ちなみに、某ゲームでは真田幸村とライバル関係という扱いになっている、伊達政宗は頭蓋骨が残っているため、顔の復元がされています。
実際に、伊達政宗の頭蓋骨から復元した顔の模型が、『みちのく伊達政宗歴史館』に展示されているんですよ。
その顔がこちらです。
確かに、年老いた状態でも整った顔をしているので、これなら若い頃がイケメンだったのも頷けます。
伊達政宗がイケメンに描かれるのは、あながち間違いではないということでしょう。
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まとめ
過大評価されがち、しかもイケメン…
というのが、よくイメージされる真田幸村です。
しかし、実際の真田幸村の顔を、史料を紐解いて検証してみると、イケメンとは言えません。
残されている真田幸村の肖像画などを見る限りでは、
決してブサイクな顔ではありませんが、老け顔だった
という印象を受けました。
二度に渡る大坂の陣での活躍が後世になって美化され、それに伴って女性人気も手に入れようと、当時の戦国の創作コンテンツを作っていた人が真田幸村をイケメンにしたのでしょう。
結果、
真田幸村=イケメン
というイメージがつき、現在に至るわけです。