ルーズボールをいち早くかっさらい、相手ゴールに叩き込むゴールハント能力の高いフィニッシャータイプのFW・佐藤寿人選手。
ちょっとした相手DFのパスミスも容赦なく奪う姿は、今の日本代表には少ないタイプの選手ですよね。
12年連続二桁ゴールを奪い、2012年・13年でJリーグ2連覇に大きく貢献するほど実績を持つFWなのに、ブラジルワールドカップには無縁。
しかも、2017年には当時J2に降格したばかりの名古屋に移籍と謎も多い選手です。
そこで改めて、本記事にて、佐藤寿人選手の移籍遍歴(移籍の理由)や、年俸推移、引退の予定などを探り、まとめていきます。
佐藤寿人の移籍遍歴(名古屋・千葉への移籍理由)
Jリーグファンなら、J1・サンフレッチェ広島の黄金期に多大な功績を残した佐藤寿人選手を知らないのはモグリといって良いかもしれない…
海外に挑戦することなく、Jリーグに骨を埋め、仙台時代から含めて、12年連続二桁ゴールを挙げた実績は、実に輝かしいものです。
しかし、2016シーズンは、何故か出場機会に恵まれず、その翌年にはJ2に降格した名古屋グランパスへ移籍することに…
一体、佐藤寿人選手に何があったというのでしょうか?
その謎を紐解く意味でも、これまでの佐藤寿人選手の移籍遍歴を見ていきましょう。
ジェフ市原(現在:ジェフ市原・千葉)時代(2000年~2001年)
Jリーグ史上でも珍しい双子選手として、兄・佐藤勇人選手とともに、2000年にジェフ市原のユースチームからトップ昇格。
当時は、まだそれほど結果を出せていませんでしたが、U-20日本代表にも選出され、クラブチーム・日本代表の両輪で活躍していました。
とはいえ、出場機関に恵まれていたわけではなく、2002年、セレッソ大阪へレンタル移籍します。
セレッソ大阪時代(2002年)
出場機会を求め、セレッソ大阪にレンタル移籍してきた佐藤寿人選手ですが、大久保嘉人選手の台頭もあり、ここでも出場機会に恵まれませんでした。
結局、翌年には、ベガルタ仙台にレンタル移籍してしまうのです。
ベガルタ仙台時代(2003年~2004年)
佐藤寿人選手が輝き始めたのは、ベガルタ仙台に移籍してからといっても良いかもしれません。
レンタルながらも仙台に移籍すると、出場機会にも恵まれ始め、
- リーグ戦30試合出場9得点
- カップ戦6試合出場4得点
とまずまずの結果を残します。
残念ながら、その年は仙台がJ2に降格してしまうのですが、J1のチームからのオファーを蹴って、仙台に完全移籍…
翌年にはJ2ながら、40試合に出場し、20得点を叩き上げ、J2得点ランク4位に躍り出ます。
しかし、チームは6位とJ1昇格できず、J1のサンフレッチェ広島から熱烈ラブコールを受け、悩んだ末に、サンフレッチェ広島へ移籍したのです。
ちなみに、仙台時代にチームメイトだった、森保一さん(現:日本代表監督)とは、後のサンフレッチェ広島で、監督・選手の関係になります。
今思うと実に不思議な縁ですね。
サンフレッチェ広島時代(2005年~2016年)
佐藤寿人選手の印象として、多くのサッカーファンは、サンフレッチェ広島時代の活躍を想像すると思います。
何よりも、佐藤寿人選手が最もサッカー選手として活躍したのが、このサンフレッチェ広島での12年。
仙台時代の結果を見込まれ、当時のサンフレッチェ広島の監督だった小野剛監督と織田秀和強化部長の熱烈ラブコールに応え、2005年にサンフレッチェ広島に移籍…
移籍初年度から、浦和戦・神戸戦でハットトリックを記録する他、J1リーグ戦32試合に出場。
結果、18ゴールを挙げ、日本人得点王に輝きます。
そして、サンフレッチェ広島でのラストイヤーを除く11年と、仙台での2年目の計12年、二桁得点を続け大活躍!
2012年・2013年には、仙台時代にチームメイトだった森保一氏を監督に迎え、監督・選手の関係になり、J1リーグ2連覇に貢献。
まさに、佐藤寿人選手のサッカー人生の要とも言うべきクラブチームですし、黄金期を築き上げた時代だったとも言えますね。
しかし、黄金期はいつしか終わりを迎えるもの…
2016年には、出場機会を奪われるようになり、その年にJ2降格が決まった名古屋グランパスへの移籍を決断するのです。
名古屋グランパス時代(2017年~2018年)
2016年のJ1リーグ戦において、出場機会が少なくなってしまった佐藤寿人選手。
そんな彼に対して、かつての強化部長だった織田秀和社長は高く評価し、残留してくれるよう慰留に努めていました。
しかし、佐藤寿人選手の強い希望を無下にする訳にもいかず、名古屋への移籍を容認。
2017年、名古屋へ移籍することとなったのです。
ただし、初年度こそそれなりに出場機会に恵まれるも、怪我の影響もあり、J2リーグ戦で僅か5得点に留まります。
そして、翌年J1には、昇格するも出場機会を失うことに…
既に、サンフレッチェ広島時代に、
「引退が脳裏にちらついていた」
という佐藤寿人選手。
しかし、そんな彼をまだ選手として求めているチームがあったのです。
それが、彼がアカデミー時代からお世話になっていたジェフ市原・千葉だったわけ。
佐藤寿人選手は、再びJ2という舞台で、双子の兄・佐藤勇人選手とともに、ジェフ市原・千葉をJ1に昇格させる戦いに挑みます。
ジェフ市原・千葉時代(第2期、2019年~)
名古屋を離れて、ジェフ市原・千葉に移籍することとなった佐藤寿人選手。
名古屋の強化部からも
「ピッチの上で、選手としてまだまだできることを証明してほしい」
と言われていただけに、その言葉を胸に、再び選手としての輝きを取り戻せるか…
チームもジェフ市原・千葉に変わり、心機一転した佐藤寿人選手の活躍に期待したいものですね。
以上が、佐藤寿人選手の主な移籍遍歴です。
黄金期を築き上げたサンフレッチェ広島時代…
やはり、佐藤寿人選手のピークは、サンフレッチェ広島時代の12年間ですね。
森保一監督が就任した2012年、2013年でJ1連覇を成し遂げ、2015年には、再びJ1チャンピオンに返り咲く功績を見せています。
その3度のJ1優勝に携わっていた佐藤寿人選手の実績は高く評価されています。
サポーターはもちろん、スタッフ全員が、サンフレッチェ広島に残るよう慰留していました。
最終的には、佐藤寿人選手の意思を尊重した形となりましたが、名実ともにサンフレッチェ広島の顔として、多くのファンから愛されたことに違いはありません。
今はジェフ市原・千葉でプレーしますが、果たして、サンフレッチェ広島時代のような輝きを取り戻せるか、非常に楽しみですね。
佐藤寿人が名古屋に移籍した理由
正直、筆者自身、佐藤寿人選手が2017年に名古屋に移籍した一件には、心底驚かされました。
というのも、サンフレッチェ広島で愛され続けていた佐藤寿人選手でしたし、どう考えてもサンフレッチェ広島で現役を引退するものだと思いこんでいたのです。
そのため、まさか他のチーム(しかもJ2に降格した名古屋に…)に移籍するなんて、ただ衝撃が走るばかりでした。
実際に、佐藤寿人選手自身、全く移籍は考えもせず、サンフレッチェ広島で現役を終える予定でいたそうです。
しかし、先程も紹介したとおり、名古屋から、
「ピッチの上で、選手としてまだまだできることを証明してほしい」
と熱烈ラブコールを受け、そのことに感銘を覚えた佐藤寿人選手は、出場機会を求め移籍を決断したのです。
現役引退を考えていた佐藤寿人選手に、選手として必要としてくれたことが伝わり、その想いに胸を打たれたことが、移籍の大きな理由でした。
楢崎正剛さんや川口能活さんが現役を引退し、また世代が変わりつつある印象を受けるサッカー界。
しかし、佐藤寿人選手と同年代の選手たちは、
- 大久保嘉人(ジュビロ磐田)
- 田中隼麿(松本山雅)
- 田中達也(アルビレックス新潟)
など、まだまだ現役選手として頑張っている選手が多いです。
だからこそ、まだここで現役を終えることなく、新天地で結果を出してほしいです。
佐藤寿人選手も、きっとそのことを考えてくれていると思います。
そして、まだ現役として力を求められているのであれば、現役としてこだわり、戦い続けたいと考えているのでしょう。
その結果が、古巣であるジェフ市原・千葉への移籍なのです。
J2は、J1と異なりタフな戦いが続きます。
それだけに、怪我をせず、コンスタントに活躍し、サッカー選手として光り輝いてくれることを願うばかりです。
佐藤寿人の年俸推移
佐藤寿人選手といえば、サンフレッチェ広島での活躍が印象に強いですが、当然その頃を比較して、他のチームでの年俸など違っていると思います。
では、改めて佐藤寿人選手の年俸推移を見ていきましょう。
ジェフ市原時代(2000年、2001年)
2000年:350万円
2001年:400万円
セレッソ大阪 時代(2002年)
2002年:500万円
ベガルタ仙台時代(2003年、2004年)
2003年:600万円
2004年:1,000万円
サンフレッチェ広島時代(2005年~2016年)
2005年:2,000万円
2006年:3,000万円
2007年:2,900万円
2008年:3,500万円
2009年:4,800万円
2010年:5,200万円
2011年:5,500万円
2012年:4,700万円
2013年:5,500万円
2014年:6,000万円
2015年:6,000万円
2016年:4,500万円
名古屋グランパス時代(2017年、2018年)
2017年:1,500万円
2018年:4,200万円
ジェフ市原・千葉時代(第2期、2019年~)
2019年:不明(おそらく5,000万円前後)
以上が、佐藤寿人選手の年俸推移になります。
どうしても国内のみで活躍となると、その年俸は低く、最も活躍したサンフレッチェ広島時代でさえ、6000万円が最高です。
とはいえ、デビュー当初の年俸350万円を考えると約17倍ですから、成功していると言えるでしょう。
はたして次に移籍するジェフ市原・千葉では、どのような活躍を見せ年俸を挙げていくのか…。
佐藤寿人引退の噂の真相・怪我の状況
先程も少し触れたとおり、本来であれば、佐藤寿人選手はサンフレッチェ広島で過ごした12年で現役選手としてのピリオドを打つ予定でした。
それだけサンフレッチェ広島を愛していたのも事実です。
しかし、サッカー選手としての輝きを、もう一度取り戻そうとしています。
一度、引退が噂されたのも、
あくまでサンフレッチェ広島から名古屋に移籍する前の2016年末の話で、ただの噂に過ぎません。
確かに、名古屋時代には、
右ハムストリングス筋損傷の怪我
などで長期離脱し、更に引退の噂も強まりました。
しかし、まだ引退を決めたわけではありません。
もちろん、佐藤寿人選手はベテラン選手でもあるので、ジェフ市原・千葉での結果が振るわなければ引退ということもあるでしょう。
ただ、最初から怪我をすることや引退を念頭に負いてプレーする選手はいません。
まずは、ジェフ市原・千葉を再びJ1の舞台に昇格させることが一番。
その活躍を砂糖寿人選手ができるかどうか期待しながら、2019年の動向に注目していきたいと思います。
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まとめ
佐藤寿人選手は、数少ないフィニッシャータイプ。
相手の隙をついてゴールを奪うことが得意な選手です。
サンフレッチェ広島時代に大きく活躍し、年俸6000万円のときもありましたが、近年は出場機会に恵まれず、なかなか結果が出ないことも…
そして、サンフレッチェ広島での引退を考えていた佐藤寿人選手に、名古屋グランパスから声をかけられ、悩んだ末に移籍を決意。
選手として求められたことが移籍の理由だったわけです。
また今シーズンからは古巣・ジェフ市原・千葉に戻り、現役を続けます。
果たして、佐藤寿人選手は、ジェフ市原・千葉で輝きを取り戻せるのか、今シーズンの佐藤寿人選手の活躍に注目したいですね。