差別をなくそうとする動きがある中で、まだまだ差別用語がなくなりません。
小学校で差別についての勉強が始まり、中学校でも差別についての授業がありますが、あまり深く考えずに差別用語を平気で使ってしまう子供も少なくないんですよね。
2015年に兵庫県たつの市の中学校で、
中学3年生の生徒が被差別部落出身教師に対し”エッタ”
などの差別語を浴びせるという事件が起こりました。
では、この”エッタ”とは、どのような意味なのでしょうか。
差別語は人を傷つける言葉なので、きちんと由来や語源などを知り、意味を知っておく必要がありますね。
今回は、エッタの言葉の意味や由来・語源をチェックしていきます。
エッタの言葉の意味や語源とは?
エッタとは
日本の中世以前から見られる身分制度のひとつ
である
士・農工商・穢多非人(しのうこうしょうえたひにん)
と言われる江戸時代の封建社会の身分制度の中にあります。
この身分制度は、階級社会の社会的秩序を維持・強化するために作られ、江戸時代に入り、よりいっそう徹底された差別的身分制だったのです。
エッタは
穢多(えた)
という、
- 穢れ(けがれ)が多い仕事
- 穢れ多い者(罪人)が行なう生業
の呼称でした。
エッタの語源は、この穢多だったのです。
エッタの”穢れ”については、
- 日本仏教
- 神道
における”穢れ”観念からきたものだといいます。
エッタは、
”ヒト”ではあるけれど汚らわしいもの
とされて、
山奥の不便で畑などもつくれないようなところに追いやられた人々
なのです。
エッタの下には、”非人”があり、非人は”ヒト”として扱われません。
奴隷ですらなく、畜生も同然の扱いを受けてきました。
エッタの仕事は、
農民が捨てた病死した牛馬を回収して処理
をし、
牛馬の獣皮の加工などを行い革製品の仕事
だったようです。
他にも、
- 刑吏、捕吏などの下級警察のような仕事
- 草履づくりと、その販売
などの仕事を行っていました。
さらには、病死した牛馬の肉を食べて生活をしていたということなんです。
とても過酷な生活を余儀なくされていたということがわかりました。
かつては身分制度というものを作り、このような恐ろしい差別があったんですね。
エッタの由来は?
エッタの由来については、
明確には明らかになっていない
ということなんです。
- 逃亡農民に由来するという説
- 皮革加工などの仕事をする部民という説
- 中世の元寇(げんこう)に由来するという説
- 古代の被征服民族に由来するという説
など様々な説があげられています。
エッタの起源は一様ではないようですが、エッタは
職業に関わりなく親子代々承継された
とされています。
鎌倉・室町の時代から、
卑しい者とは結婚しない。
血は一度汚れるときれいにはならない。
穢多の子はいつまでも穢多である。
という差別意識まで記した史料が現れている、というので驚きですね。
エッタは、
血統的な差別
であることから、現在も”エッタ”という差別語が残っているんですね。
エッタは、
部落差別の言葉
としても使われています。
本来”部落”は”集落”の意味ですが、歴史的に
エタ村あるいはエタ(穢多)と称された賤民(せんみん:通常の民衆よりも下位に置かれた身分)の集落や地域
を、行政が福祉の客体として
被差別部落民(略して部落民)
などと呼んだことから、特に西日本では被差別部落を略した呼び名としてエッタが定着しています。
2016年12月には、
部落差別解消推進法
が施行されましたが、部落解放同盟や一部自治体によって法の周知や啓発をしているにも関わらず、
メディアがほとんど報じないこと
もあって、この法律の具体化や活用は進んでいないという状況です。
住んでいる家の近くに”部落”と呼ばれる地域がない人達にとっては、あまり現実味のない話に感じてしまうようですね。
しかし、”部落”と呼ばれる地域がまだある場所に住む人たちは、いまだに
「部落の人達とは関わりあってはいけない」
という考えを子供に伝えている家庭もあるのです。
差別をすることで、生まれる負の連鎖を断ち切るには一体どのようにすればいいのでしょうか。
生まれてくる家は、誰も選ぶことができません。
時代は変わり、身分制度もない今、差別をすることはおかしなことであり、皆平等であるべきだと思います。
国からきちんとした対策が出され、メディアも大きく取り上げることで、国民の意識が少しずつでも変わっていくといいですね。
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まとめ
エッタとは、
身分制度によってできた穢多(えた)
が語源でした。
エッタは、
- 生活するのが大変な場所に追いやられていた
- 苦しい生活を余儀なくされていた
ひどい差別を受けてきた人々だとわかりました。
エッタの人々が住む集落を部落と呼び差別されるだけでなく、
エッタの血統はずっと続く
というような差別意識から現在も差別語として使用されています。
差別をされることによって選べる職種が限られたり、日常生活で嫌な思いをしている人がたくさんいて、そこからまた悪いことが起こるという悪循環を止めなくてはいけません。
今後もっと
部落差別解消推進法
が活用されて、差別のない世の中になっていくことを願っています。