『神童』『キックボクシング史上最高の天才』
と言われるキックボクシング界のスーパースターといえば、那須川天心(なすかわてんしん)選手です。
名前を見てまず思うのが、『天心』というのはリングネーム?本名?ということですよね。
また、那須川天心選手を、世界を相手に大活躍する選手を育て上げたのは、父である那須川弘幸さんです。
スーパースターを育てた父親とは、いったいどんな人物なのでしょうか?
今回は、那須川天心選手の本名や出身中学高校など経歴や、父・弘幸さんについて調べてみました。
那須川天心の本名や出身中学高校など経歴調査!
那須川天心のプロフィール
名前:那須川天心
生年月日:1998年8月18日
出身:千葉県松戸市
身長:165センチ
まず、『那須川天心』という名前について触れていきましょう。
リングネームなの?
と思う人も多いですよね。
しかし、『那須川天心』という名前は、紛れもなく本名です。
『天心』は、変わった名前ですが、なぜそのような名前をつけたのか?
名前の由来は、
『天のような大きい心を持ち、感謝の気持ちを忘れない人間になってほしい』
との想いを込め、父・那須川弘幸さんが名付けました。
那須川天心の経歴
次は、那須川天心選手の経歴を紹介します。
那須川天心選手は、幼少期から父・弘幸さんの影響で、極真空手を習っていました。
小学5年生の時には、極真空手ジュニア世界大会で優勝する程の、実力を身につけています。
そして、小学6年生の時に見たK-1の魔裟斗選手に憧れ、キックボクシングへと転向するのです。
那須川天心の出身中学と経歴
那須川天心選手の出身中学は千葉県松戸市にある、
松戸市立常磐平中学校
となります。
本格的にキックボクシングへ転向した那須川天心選手は、はじめは空手との違いに戸惑うことが多くありました。
しかし、出稽古などを積極的に行い、試行錯誤することで修正し、徐々に適応したのです。
そしてキックボクシングの試合でも、輝かしい戦績を残していき、数々のタイトルを獲得します。
キックボクシング転向後の小学時代から中学時代の、アマチュアキックボクシングの戦績は、
105戦99勝5敗1分37KO
数字を見ても、圧倒的強さをアマチュア時代から持っていたことを証明していますね。
アマチュアキックボクシングの獲得タイトル(一部)
- KAMINARIMON‐35㎏級王者
- Bigbang 50㎏級王者
- Bigbang 60㎏級王者
- 全世界アマチュアムエタイ金メダル
- ムエロークジュニアトーナメント 2010 優勝
- M- 1ムエタイチャレンジ40㎏級王者
- M- 1ムエタイチャレンジ45㎏級王者
- M- 1ムエタイチャレンジ50㎏級王者
- 初代MAキック Jr.42㎏級王者
- 藤原敏男杯 2012 全国大会 50㎏級 優勝
- 藤原敏男杯 2013 全国大会 55㎏級 優勝
挙げた獲得タイトルは、あくまでも一部です。
他にも多数あり、那須川天心選手は、
『ジュニア界のパウンド・フォー・パウンド』
と称されるほどでした。
那須川天心の出身高校と経歴
中学校を卒業した那須川天心選手は、格闘技の練習に集中する為に、午前中だけ学校に通うことで卒業が可能な、
千葉県立松戸南高等学校の午前部
に進学しました。
中学卒業後はプロデビューを見据えて、アマチュア時代のポイント狙いの打撃ではなく、
倒すことを目的としたプロ仕様の打撃
を磨いていきます。
そして、高校入学から数か月後の2014年7月12日に、プロキックボクシング団体であるRISE.100でプロデビュー戦を行うことになります。
那須川天心選手の実績により、いきなり相手はRISEバンタム級7位のランカー。
その試合で、
『1ラウンド58秒KO勝ち』
と言う衝撃のプロデビューを果たすのです。
その後も連勝を重ね、2015年5月31日のRISE.105で、当時9連勝中の王者である、村越優汰選手とタイトルマッチをおこないます。
2ラウンドに3度のダウンを奪い、KO勝ちを収め、
RISE史上最年少記録である16歳、プロ6戦目で王者
となりました。
2015年8月1日に出場した、BLADE.2-55㎏トーナメントでは、1日で計3試合を行い、
『全試合KO勝ちで優勝』
を果たします。
さらに、2016年3月26日に参戦したRISE.110では、キックボクシング団体であるISKAのオリエンタルルール世界バンタム級王座決定戦を行いました。
対戦相手である、フレッド・コルデイロ選手に判定勝ちをし、
『17歳にして世界王座を獲得』
という快挙を成し遂げます。
2016年12月5日に参戦したキックボクシング団体であるKNOCK OUT.vol0では、ムエタイ最高権威ルンピニースタジアムの現役スーパーフライ級王者、
『ワンチャローン・PK・センチャイムエタイジム選手と対戦し、1ラウンド2分23秒TKO勝ち』
をします。
相手をバックスピンキックで倒すって凄すぎますよね。
那須川天心選手は、18歳にして世界最高峰の選手を圧倒したことになります。
まだまだ那須川天心選手の快進撃は止まりません。
なんと、この試合後3週間ほどで、
日本の格闘技競技会RIZINで総合格闘技デビュー
を果たします。
しかも2016年12月29日にニキータ・サプン選手、31日にカウイカ・オリージョ選手と、
『わずか3日間に2試合を行い、いずれもKO勝ち・一本勝ち』
をしてしまいます。
その後も、キックボクシングや総合格闘技で連戦連勝を重ね、高校生活最後となる試合を2018年2月12日に、KNOCK OUT.FIRST IMPACTで行います。
この時の対戦相手であるスアキム・シットソートーテーウ選手は、
元ルンピニースタジアムスーパーバンタム級王者
です。
この選手は、那須川天心選手と同じ、スーパーバンタム級。
しかし、あまりに強すぎるせいで、
同階級で相手が見つからず、2階級上のルンピニースタジアム王者と対戦して勝利してしまう
ほどの強い選手です。
そんな選手を相手に、那須川天心選手は、
的確なヒットと手数で上回り判定勝利
を収め、これも世界を驚かせました。
那須川天心選手の高校時代の戦績と獲得タイトルをまとめてみると、
戦績 |
|
獲得タイトル |
|
那須川天心選手が圧倒的強さを持つことが分かりますね。
こんな強すぎる日本人キックボクサーは、過去にいなかったでしょう。
高校卒業後の那須川天心選手は、
大学には進学せず、格闘技に専念
します。
格闘技一本に専念できたためか、那須川天心選手は、いよいよ手がつけられない領域へと突入していきます。
2018年6月のRISE125では、RISEバンタム級王座を返上し、階級をフェザー級に上げました。
階級を上げて臨んだ初代RISE世界フェザー級王座決定戦では、スーパーフェザー級1位のロッタン・ジットムアンノン選手に判定で勝利し、
2階級制覇
を達成!
2019年6月には、ISKA世界フェザー級王座に挑戦します。
しかし、当時の王座の選手が、
「天心には勝てない、試合はやらない」
などと、試合を拒否したため、王座をはく奪されます。
空位となった状態で、ISKAバンダム級王座のマーティン・ブランコ選手とフェザー級の王座決定戦をおこないました。
その試合で、那須川天心選手はKO勝ち!
RISEフェザー級、ISKAバンタム級に続き、ISKAフェザー級の王座となったことで、
世界3冠
を達成したのです!
那須川天心の父・弘幸さんは凄い人?
中学時代や高校時代に数々の偉業を成し遂げ、今も成長を続けるキックボクサー・那須川天心選手。
若くして世界を相手に大活躍できるようになった陰には、
父・那須川弘幸(なすかわ ひろゆき)さん
の存在がありました。
那須川弘幸さんは、
格闘技経験(極真空手)はあるものの、プロ格闘家として活躍していたわけではありません。
それどころか、中学時代はサッカーをやっていました。
仕事もトレーナー経験は一切なく、
内装業を経営しながら、那須川天心選手に指導をしてきた
という、那須川天心選手の父親として見てしまうと、かなり異色な経歴…。
父・弘幸さんの指導は、とても厳しい内容でした。
大会で優勝しても、いつもの動きができていなければ、帰宅後何時間も反復練習を行わせる
など、基礎を徹底したのです。
自他ともに認める徹底した厳しい練習により、那須川天心選手は、幼少の頃から輝かしい実績を残すことができたのですね。
そんな那須川弘幸さんの格闘技の指導歴ですが…
実は、那須川弘幸さんが指導に携わるようになったのは、
那須川天心選手が小さい頃の話
まで、さかのぼります。
弘幸さんの影響で、極真空手を習っていた那須川天心選手が、初めて出場した大会で負けてしまいました。
その結果を受け、那須川天心選手の特訓をするようになったことが、那須川弘幸さんの格闘技指導の始まりです。
時は流れ、那須川天心選手がキックボクシングを始め出すと、父・弘幸さんが引き続き特訓に付き合っていました。
そんな中、アマチュアボクシング選手だった岡本祐爾さんに出会い、彼にトレーナーを依頼。
那須川天心選手、岡本祐爾さん、そして那須川弘幸さんとの3人で、
『TEAM TEPPEN』
を結成したのです。
今でこそ『TEAM TEPPEN』は常設ジムを構え、恵まれた環境下にありますが…
当時は、近所の体育館を週に一度借りて練習する
といった、地元の○○教室みたいな規模で、近所の子供たちを相手に指導していました。
その後、『TEAM TEPPEN』は常設ジムとして『TEPPEN GYM』を千葉県小金原市に構えるまでになります。(後にジムは松戸市に移転)
このジムで那須川弘幸さんは、息子・那須川天心選手はもちろんのこと、
- 娘の那須川梨々選手
- キックボクシング転向後の白鳥大珠選手
など、多くの選手を育て上げてきました。
- プロ格闘技選手としての経歴なし
- 本格的な格闘技トレーナー経験もない
この経歴でありながら、多くの選手を輩出しているため、
那須川天心選手の父・那須川弘幸さんはとてもすごい人!
と言えるでしょうね。
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まとめ
那須川天心選手の名前は、珍しい名前ですが、本名でした。
経歴を調べてみると、中学時代までの、アマチュアキックボクシングの戦績は、
105戦99勝5敗1分37KO
と無類の強さを誇り、高校時代にはプロデビューも果たします。
プロになった後は、高校生ながら世界タイトルを獲得するほどに成長、大学には進学せず格闘技に専念したことで、現在は世界3冠を獲るほどのスーパースターです。
大活躍を続ける那須川天心選手を育て上げたのは、父・那須川弘幸(なすかわ ひろゆき)さん。
プロ格闘技選手の経歴もなく、格闘技トレーナーの経験もない
という経歴ながら、那須川天心選手を含め、素晴らしいキックボクサーを多く輩出するほどの名トレーナーとなりました。
それだけに、
父・那須川弘幸さんは、間違いなくすごい人
といえますね!