ラストエンペラーという映画を知っていますか?
1987年に、
- イタリア
- 中華人民共和国
- イギリス
により映画公開されたもので、日本でもかなりの人気を誇った映画です。
清朝最後の皇帝として、即位したため、
『ラストエンペラー』
という名称で語られています。
そんなラストエンペラーですが、実は、
日本に子孫がいる
という話があります。
そこで、今回は、
『ラストエンペラーの子孫は、本当に日本にいるのか』
について、紹介していきます。
清朝のラストエンペラーについて知りたい人は、参考にしてみてください。
ラストエンペラーについて
映画で有名になったラストエンペラーですが、そもそも、
『どんな人物だったのか』
というのは、映画でしか知らないのではないでしょうか?
まずは、ラストエンペラーがどんな人物だったのかについて紹介します。
2歳で清の皇帝になった人物
ラストエンペラーの本名は、
『愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)』
と言います。
清朝第11代皇帝・光緒帝の弟である、
『愛新覚羅載灃(あいしんかくらさいほう)』
の息子として、北京で生まれました。
当時、最高権力者だった西太后から、第12代皇帝に指名されましたが、それはわずか、
2歳10か月
の時でした。
清朝の滅亡
それからわずか6年後に起こった、
『辛亥革命(しんがいかくめい)』
により、250年以上続いてきた清朝が滅亡し、溥儀も皇帝の座を降ろされました。
それから一時は、紫禁城という場所で過ごしていましたが、1924年に発生した、
『軍事クーデター』
により、城から退去を余儀なくされ、北京にあった日本公使館に身元を引き受けられました。
満州国の皇帝の座につく
その後、天津の日本租界に身を置いていましたが、1931年、
『満州事変』
が勃発して、中国の東北部が日本の占領下に置かれることになります。
満州の地に、新たな国を建設しようとした日本は、元首として、
『愛新覚羅溥儀』
を選びました。
満州国の元首となった溥儀ですが、実際のところは、
日本が中国侵攻のための足掛かり
として、担ぎ上げられたものでした。
ですが、溥儀もまた、清朝の再興に利用するため、満州国の元首となったため、
『どっちもどっち』
と言えなくもないのです。
満州国の滅亡
ここから、良く知られている、
『ソ連の日ソ中立条約の破棄』
があり、ソ連と満州国も戦争状態に突入しました。
ですが、ソ連の軍事力の前に成す術なく敗退し、わずか13年で、
満州国の滅亡
を迎えることになります。
溥儀は日本への亡命を図りましたが、ソ連にあえなく捕まり、身柄を拘束されます。
その後、身柄は中国に引き渡され、満州国皇帝の戦犯として、
『中国共産党の思想改造』
を受け、生活しています。
後に釈放され、故郷の北京にある植物園で働き、1967年に腎臓がんで逝去しています。
最後は一市民として暮らし、
『享年61歳』
で、数奇な運命に翻弄された人生の幕を下ろしたのです。
愛新覚羅溥儀の子孫はいるのか?
愛新覚羅溥儀の生涯を、簡単に紹介しました。
ここで疑問に思うのは、
『溥儀は子孫を残していたのか』
ということです。
先に正解を言ってしまうと、
溥儀に子供はいない
とされています。
溥儀は、結婚はしていましたが、子宝には恵まれていなかったのです。
では、日本にいる溥儀の子孫とは、一体誰の事を言っているのか?
それは、
『溥儀の弟や妹の子孫』
のことを指しているのです。
愛新覚羅の家系図は、未だに多くの子孫が名を連ねている
愛新覚羅の家系図を見ていくと、
『清朝初代皇帝・ヌルハチ』
から続く、数多くの子孫の名前が連なっています。
その中には、もちろんラストエンペラーの名前もあり、その弟である、
『溥傑(ふけつ)』
また、溥儀の妹である、
『溥韞娯(プユンユ)』
の名前もあります。
その後も、
『子孫の名前が現在まで続いている』
ため、今でも、様々な国で生活していると言われています。
日本にいる、愛新覚羅の子孫
日本に、愛新覚羅の子孫がいるという話でしたが、確かに、
日本にも、愛新覚羅の子孫は住んでいる
ことが判明しています。
公に判明しているのは、2人おり、1人目は、溥儀の弟・溥傑の次女である、
『福永嫮生(ふくながこせい)』
という人物です。
現在は、兵庫県神戸市に在住しており、
- 日中友好活動
- 戦争体験の講和
などの活動をしています。
もう1人は、現在、東京都品川区大井町でクリニックを経営している、
『愛新覚羅 維(あいしんかくら い)』
という人物です。
名古屋大学医学部を卒業した後、東京大学付属の病院を転々として、今の職場についています。
詳細は判明していませんが、末裔であることは確かだそうです。
愛新覚羅の子孫は、世界中にいる
愛新覚羅の子孫は、世界中に散らばっていると言われています。
ただ、時代の流れによって、
苗字が変わっている
ことが多く、誰がどこにいるかは、はっきりと判明していません。
何人かは存在が確認されているようですが、おそらく、
『かなりの人数』
が、愛新覚羅の子孫として、現在も生活していると言われています。
愛新覚羅の子孫は、途中で苗字を、漢の字である、
『金』
に改名させられていますが、後の時代では、戻してよいことになっています。
ですが、今更戻しても意味がないということで、
『現在使っている苗字のまま生活している』
と言われています。
ラストエンペラーの血筋は、今でも脈々と受け継がれているのですね。
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まとめ
今回のまとめとしては、
『日本だけでなく、世界中に愛新覚羅の子孫は存在している』
ということが言えるでしょう。
ラストエンペラー自身の子供はいませんでしたが、
『清朝の血筋は、今でも様々な場所で生き続けている』
ということが、現在では判明しています。
数奇な運命を辿ってしまったラストエンペラーですが、
『現在まで血筋が繋がっている』
というのは、ある意味幸せなことなのかもしれません。
次に映画を見るときは、
『ラストエンペラーの生涯と、その血筋』
について、考えながら見ると、更に面白くなるかもしれませんよ?