2018年、プロ野球レギュラーシーズンで、
セ・リーグは広島東洋カープの優勝
パ・リーグは埼玉西武ライオンズの優勝
で幕を閉じました。
しかし、まだ日本シリーズがありますし、オフシーズンは選手争奪のストーブリーグが過熱していきます。
そして、指導者側でも
伊東勤氏の中日ドラゴンズヘッドコーチ就任
というのがニュースになりました。
監督経験のある人物が、ヘッドコーチ就任というのは珍しいことです。
では、この伊東勤氏というのは、どのような人物なのでしょうか。
伊東勤氏の今までの監督実績や、現役時代の成績を参照しながら解説していきます。
伊東勤の経歴
1982年
ドラフト1位で西武ライオンズに入団
1984年
正捕手となり、以降、西武の黄金時代を支える
2002年
西武の選手兼監督の要請を断りコーチ兼任選手となる
2004年
西武の監督となり、リーグでは2位だったがクライマックスシリーズで日本一にまで勝ち上がる
2007年
Bクラス転落の責任を取り監督を辞任
2008年
NHK解説者を務め、WBCの日本代表コーチに就任・週刊ベースボールでコラムを連載
2011年
韓国プロ野球チームLGツインズの臨時コーチに就く
2012年
同じく韓国プロ野球チームの斗山ベアーズのヘッドコーチに就任
千葉ロッテマリーンズの監督に就任
2017年
千葉ロッテマリーンズの監督を辞任、侍ジャパン強化本部長に就任
2018年
NHK野球解説者に復帰
経歴を見てみますと、選手や監督としてだけではなく、様々な面で野球に携わり、球界の発展に大きく貢献してきたという事が、はっきりとわかります。
野球に携わっていない年がほとんどなく、
根っからの野球人
と言っても差し支えないでしょう。
伊東勤の現役時代の成績
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1982年 | 33 | .242 | 0 | 1 | 0 |
1983年 | 56 | .194 | 0 | 6 | 3 |
1984年 | 113 | .284 | 10 | 44 | 20 |
1985年 | 124 | .258 | 12 | 62 | 13 |
1986年 | 129 | .234 | 11 | 40 | 18 |
1987年 | 124 | .247 | 10 | 51 | 7 |
1988年 | 129 | .252 | 11 | 56 | 2 |
1989年 | 117 | .235 | 9 | 35 | 3 |
1990年 | 119 | .281 | 11 | 43 | 4 |
1991年 | 124 | .212 | 8 | 44 | 3 |
1992年 | 124 | .263 | 4 | 49 | 10 |
1993年 | 128 | .224 | 7 | 39 | 6 |
1994年 | 113 | .254 | 8 | 53 | 17 |
1995年 | 125 | .246 | 6 | 43 | 9 |
1996年 | 92 | .258 | 6 | 26 | 2 |
1997年 | 129 | .280 | 13 | 56 | 5 |
1998年 | 114 | .243 | 8 | 38 | 4 |
1999年 | 95 | .287 | 3 | 24 | 1 |
2000年 | 94 | .212 | 5 | 19 | 3 |
2001年 | 106 | .203 | 2 | 20 | 1 |
2002年 | 118 | .255 | 8 | 50 | 3 |
2003年 | 73 | .168 | 3 | 12 | 0 |
通算22年 | 2379 | .247 | 156 | 811 | 134 |
プロ野球の世界では
捕手=強打者
というイメージが強いでしょう。
しかし伊東勤氏は生涯打率2割4分7厘、通算本塁打も156本という、お世辞にも
『強打者とは言えない』
数字です。
しかし、捕手としては足が速い方で、
通算134盗塁
を記録しています。
伊東勤氏の一番特筆すべき数字は、やはり通算試合出場数でしょう。
通算2379試合出場
は歴代14位で、投手の次に疲労が大きい捕手というポジションを考慮すれば、大変すばらしい数字です。
伊東勤が獲得したタイトルや記録
伊東勤氏は数々の賞を受賞し、記録を打ち立てています。
どれをとっても、輝かしい賞や記録ばかりが、並んでいます。
- 通算犠打305、パ・リーグ歴代1位
- 通算134盗塁、捕手としての日本記録
- 現役22年間のうち14度のリーグ優勝、8度の日本一を経験
- 捕手として、プロ野球記録となる1263守備機会連続無失策
- ベストナイン賞10回
- ゴールデングラブ賞11回
- 最優秀バッテリー賞6回
- 監督1年目でリーグ優勝(西武ライオンズ)は史上初
- 2017年に日本プロ野球殿堂入り
- 日本シリーズでセ・リーグ全球団と対戦した唯一の人物
伊東勤の監督実績
年度 | 球団 | 順位 (リーグ戦順位) |
2004年 | 西武 | 1位(2位) |
2005年 | 3位(3位) | |
2006年 | 2位(2位) | |
2007年 | 5位 | |
2013年 | ロッテ | 3位 |
2014年 | 4位 | |
2015年 | 3位 | |
2016年 | 3位 | |
2017年 | 6位 | |
通算:9年 |
伊東勤氏の年俸はいくら?
伊東勤氏は2003年に現役を引退して監督になってからも、球界の発展に貢献してきました。
特に西武監督時代は、
涌井秀章
中島裕之
中村剛也
などをパ・リーグで代表する選手にまで育て、リーグ優勝も果たしました。
ロッテの監督時代は、リーグ優勝こそありませんが、5シーズンのうち3回Aクラスに残った実績は、とても高く評価されています。
そんな球界にとって大変貢献度の高い伊東勤氏ですが、ロッテ監督時代の年俸の方は
8000万円
程と言われています。
プロ野球の監督ともなれば1億円越えも珍しくない業界において、8000万円は、ほぼ真ん中あたりの金額と言えるでしょう。
伊東勤氏の現役時代の年俸は?
一方、伊東勤氏の現役時代の年俸を見てみましょう。
1981年(19歳)
ドラフト1位で西武ライオンズに契約金5000万円で入団し
年俸300万からスタート
1992年(30歳、入団11年目)
年俸1億円
1995年(33歳、入団14年目)
年俸2億円
2003年(41歳、入団22年目、現役最後の年)
年俸1億1千万円
このように、伊東勤氏は入団14年目の(33歳)2003年の時には、ピークの
年俸2億円
に達しています。
入団11年目には、1億円に達していますので、やはり現役時代の方が監督時代よりも多く貰っていることがわかりますね。
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まとめ
伊東勤氏は中日、ドラゴンズのヘッドコーチにしておくのがもったいない程の、
『充分すぎる実績と球界への貢献度』
を持っている人物でした。
その実績というのも現役時代・監督時代、両方に渡って、とても素晴らしいものでした。
また、伊東氏が獲得した数々の賞や記録は、その実績に花を添える輝かしいものばかりです。
それほどの人物であるからこそ、かえってヘッドコーチ就任でニュースになってしまうのでしょう。