山口鉄也の成績と年俸をチェック!若くして引退の理由は怪我が原因?

巨人のリリーフとして第2次原政権を支えた勝利の方程式の一角、山口鉄也投手が引退を発表。

2018年の引退軍のリリーフがまた豪華になってしまう寂しさ…。

34歳という若さにして引退を決意したのは、やはり長年の酷使による怪我が影響しているのでしょうか?

この記事では、巨人の山口鉄也投手について、現役時代の成績や年俸、そして引退の理由について紹介していきます。

理由は怪我?巨人・山口鉄也が引退

2018年10月5日の深夜のことでした。

巨人が誇る鉄腕セットアッパ―・山口鉄也投手の引退が判明。

まさかの山口鉄也投手の引退に、巨人ファンは驚きを隠せない様子でした。

確かに2018年は1軍登板なしでしたが、2軍の様子を見ていると、まだやれそうな雰囲気があっただけに、巨人ファンではないものの。筆者も驚きました。

まだ34歳という若さで引退を決断したのには、どんな理由があったのでしょうか?

山口鉄也投手は引退について、

9月ごろファームの試合でまた左肩を痛めてしまったので、その後球団といろいろ話した結果、身体の方も限界が見えてきたと思い、決断しました。

と、記者会見で語り、

度重なる怪我が原因

だと、引退理由を明かしました。

いくら鉄腕といわれても、あれだけ投げていれば身体が壊れやすくなってしまっても当然ですよね…。

1年で60試合以上も投げていれば、疲労はシーズンオフのたった数か月では回復しません。

さらに言えば、登板していない試合であっても、展開によっては肩を作っていたりするわけで…。

毎年60試合以上と言いますが、実際は、試合数以上に投げていると言っても過言ではありません。

そして疲労が完全回復せず、次の年も前年の疲労を抱えながら投げることに…。

投げ過ぎによる影響、金属疲労ならぬ勤続疲労による成績不振やコンディション不良が、山口鉄也投手に限界を感じさせてしまったのでしょうね。

村田修一選手や杉内俊哉投手、西村健太朗投手、そして山口鉄也投手…。

第2次原政権を支えた主力メンバーが続々と引退を発表し、1つの時代の終わりを感じさせる2018年。

当時の主力メンバーの引退と時を同じくして、次期監督が原辰徳さんになるかもしれないなんて…何とも皮肉な話です。

山口鉄也の成績

『風神雷神コンビ』の風神として、そして日刊スポーツのゴリ押しであるトリオ名『スコット鉄太朗』の一角として他球団を震え上がらせた山口鉄也投手。

そんな山口鉄也投手の成績を振り返っていきましょう。

山口鉄也の年度別成績

2007年 32試合 25.1回 2勝0敗2H 防御率3.91

2008年 67試合 73.2回 11勝2敗23H 防御率2.32 ★新人王

2009年 73試合 78.0回 9勝1敗35H 防御率1.27 ★最優秀中継ぎ投手

2010年 73試合 88.2回 8勝3敗20H 防御率3.05

2011年 60試合 61.2回 5勝1敗25H 防御率1.75

2012年 72試合 75.1回 3勝2敗44H 防御率0.84 ★最優秀中継ぎ投手

2013年 64試合 66.2回 4勝3敗38H 防御率1.22 ★最優秀中継ぎ投手

2014年 60試合 56.1回 4勝3敗35H 防御率3.04

2015年 60試合 52.2回 4勝5敗29H 防御率2.73

2016年 63試合 48.0回 1勝6敗19H 防御率4.88

2017年 18試合 13.1回 1勝1敗3H 防御率4.05

2018年(10月5日まで) 登板なし

通算成績

642試合 639.2回 52勝27敗 273H(歴代2位) 防御率2.34

このような成績になっています。

山口鉄也投手は育成選手からの大躍進を遂げ、育成の星として、多くの育成選手たちの希望となりました。

この投手が土木作業員になろうとしていたなんて、今では想像がつかないですよね。

実は山口鉄也投手、高卒でアメリカに渡り、ダイヤモンドバックス傘下のマイナーで4年間プレーしていました。

しかし、シングルAにすら昇格できなかったので帰国し、横浜と楽天の入団テストを受けるも不合格に…。

最後に巨人の入団テストで合格し、2005年の育成ドラフト1位で入団。

もし巨人のテストに落ちたら、

土木作業員になる予定

だったそうです。

しかも面白いのが、投手力の弱いチームだからといって受けた横浜、発足したばかりだという理由で受けた楽天で不合格になり、

「どうせ最後なら強いチームで受けよう」

と、記念受験の感覚で受けた巨人のテストに合格してしまったところですよね。

当時の巨人の首脳陣は、かなり見る目があったのだと思います。

巨人入団後は、1年目から2軍で活躍し、その活躍が認められ2年目の2007年に支配下登録。

そして1軍へ昇格し、まずまずの結果を収めると、後はもう皆さんのよく知る山口鉄也投手です。

9年連続60試合登板、歴代2位となる273ホールド、WBC日本代表にも選出され、他球団から恐れられる球界屈指のセットアッパ―になりました。

3年目の11勝2敗は驚異的な数字ですよね。

まるで先発かと思うくらいの成績です。

山口鉄也投手の持ち味といえば、全盛期はストレートと見分けのつかなかったスライダーと、圧倒的なコントロールです。

右打者の内角にズバッと食い込んでくるスライダーは、並み居る強打者をねじ伏せてきました。

しかし、長年の酷使が祟り、このところ球速も落ちてきて打たれることが増え、2016年は6敗もして防御率は5点に到達しそうなくらいの不調…。

そろそろ終わりなのかな、という雰囲気は出ていました。

そして何度も怪我をするようになり、ついには1軍登板もゼロに…。

この辺りから覚悟をしていた人は多かったと思います。

覚悟できていても、いざ引退ということがわかると、やっぱり寂しくなりますね…。

とある巨人ファンが言っていましたが。

「山口の衰退とともに巨人も弱くなっていった」

というのはまさにその通りで、山口鉄也投手は原巨人の象徴だった存在と言えます。

山口、マシソン、西村という昔の鉄壁方程式に比べると、今の巨人は勝利の方程式候補がことごとく救援に失敗…。

打たれては2軍行きになり、そもそも勝利の方程式自体が存在しない状態…

こんな状態だと、余計に山口鉄也投手の引退で昔を思い出してしまい、寂しさを感じてしまいますよね。

山口鉄也の年俸

山口鉄也投手は、大車輪の活躍をして9年連続60試合登板をするなど、常にフル回転し続けました。

だとしたら、年俸もかなりもらっていそう…

一体いくら年棒をもらっていたのか、調べてみました。

山口鉄也の年俸推移

2006年 240万円

2007年 240万円

2008年 1400万円

2009年 4500万円

2010年 1億円

2011年 1億1000万円

2012年 1億2000万円

2013年 2億4000万円

2014年 3億2000万円

2015年 3億2000万円

2016年 3億2000万円

2017年 3億2000万円

2018年 2億2400万円

生涯年俸は約20億円。

13年で20億円ですから、凄まじい額ですね。

育成選手から3億円プレーヤーになったのですから、育成の星と言われるのも納得です。

「リリーフに3億は高いのでは?」

と思う人もいそうですが、山口鉄也投手の活躍を考えれば妥当な額だと思っています。

最近は中継ぎの酷使が問題になっていますが、毎年50、60もの試合に登板していれば故障しやすくなり、その分選手生命も短くなります。

登板数が多いことで故障のリスクが高めているわけですし、仮に酷使による故障で引退となってしまった場合、本来ならもっと投げられたかもしれなかったりしますよね。

保険的な意味でも、年棒が高くてもいいはず…。

さらにいえば、セットアッパーが抑えなければ、クローザーは出番がありません。

重要度でいけば、セットアッパーのほうが大事ではないか?と筆者は感じるのです。

ならばセットアッパーなどの勝利の方程式を務めるリリーフも、クローザーと同じくらい年俸をもらっていてもいいはずです。

これらのことから、山口鉄也投手のこの年俸も、決してもらいすぎではないということがわかると思います。

山口鉄也投手や中日の浅尾拓也投手が、リリーフの年俸の価値を高めてくれた偉大な存在なのではないでしょうか。

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まとめ

育成から入団し、3億円プレーヤーまで上り詰めた山口鉄也投手が、現役引退…

また1人、2018年の引退軍に豪華なメンバーが加わってしまいました。

西村健太朗投手、山口鉄也投手、岩瀬仁紀投手、浅尾拓也投手など、大物リリーフの引退が多く、一時代の終わりを感じさせますね。

他にも、村田修一選手や新井貴浩選手なども引退しますし、2018年の秋はとくに寂しいオフになりました。

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