中日ファンにとっては、とても悲しいニュースが飛び込んできましたね。
中継ぎで唯一シーズンMVPを獲得、中日の黄金期を支えたイケメン投手・浅尾拓也投手が引退を発表しました。
あの
- 素晴らしい牽制
- フィールディング
- 華奢な体から繰り出される150キロのストレート
は、今でも鮮明に記憶に残っています。
そんな浅尾拓也投手が、33歳という若さで引退を決断した理由は何だったのか?
当記事で、浅尾拓也投手の成績や年俸を振り返りながら、引退理由を紹介します。
中日・浅尾拓也が引退を発表…
2018年9月26日、筆者は朝からグロッキーになりました。
なぜなら、突然浅尾拓也投手の引退が発表されたからです。
浅尾拓也投手といえば、成績はもちろんですが、そのイケメンぶりも話題になりましたよね。
中日には珍しい(失礼ですが)イケメンだったこともあり、女性ファンからの人気も物凄く、キャンプ中にやってくるバレンタインでは、毎年チーム1位になるくらいチョコレートをもらっていました。
まぁ、イケメンではあるのですが、どちらかというと童顔のカワイイ系イケメンですよね。
そのカワイイ系イケメンなルックスから、
『浅尾きゅん』
という、あだ名で親しまれました。
そんな浅尾拓也投手が33歳の若さにして現役引退…。
筆者は中日ファンなので、とても悲しいです。
逆転CSへ全勝目指す!
などと言われてから、今のところ負けっぱなしなのが、どうでもよくなってくるくらい深い悲しみを覚えました…。
筆者としては、その前の9月2日の巨人戦で登板した際、坂本・重信・マギーと3者連続三振に抑えた時は、
「これは浅尾も復活かな、心強いなぁ」
などと思っていただけに、引退を決断したことにはショックでした。
9月2日の浅尾拓也投手は凄かったですよね。
全盛期並みのエグイ変化をするパームを見た時は、もう一花咲かせられる可能性を感じさせてくれましたし…。
もしかすると、浅尾拓也投手が引退してしまうと、日本球界からパームボーラーは絶滅してしまうのでしょうか?
だとしたらさらに悲しいですね…。
浅尾拓也の引退理由は?
浅尾拓也投手は、なぜ33歳という若さで引退を決断したのでしょうか?
やはり、黄金期に酷使され続けて怪我をしてしまい、その怪我が長引いたことが原因でしょうか?
しかし一応、怪我自体は克服し、ストレートに全盛期ほどの力はなくなっていましたが、多彩な変化球など、まだ可能性を感じさせる時はあったはずです。
気になる引退理由…。
それを、浅尾拓也投手が記者会見で語っているので、その内容を紹介します。
まず、浅尾拓也投手が最初に語ったのは、
ここ3、4年ずっと悩みながら現役を続けてきたのですが、去年契約更改させていただいた時に今年ダメだったらと常に思って2軍でプレーしていました。
(8月に)1軍に上がることができて、これがダメならと、1試合1試合最後のつもりで自分はやっていた。
今年ダメなら引退するという覚悟で2018年のシーズンに臨んでいたことでした。
そして、引退を決断したのが、8月の巨人戦でした。
1軍でプレーしているときは辞めると決めていたことはなく、自分の中で諦めたくなかった。
先を考えずプレーしていたが、(9月16日の)巨人戦で3点取られた時に、これぐらいなのかなと正直思いました。
巨人戦で3点とられ、抹消となり、自分から監督に引退させていただきたいと申し出ました。
と、9月16日の巨人戦で被安打3、与四球1で3失点をした試合で、決断をしたようです。
怪我の影響ももちろんあるでしょうが、中継ぎとして思ったような投球ができなくなっていることを、16日の試合で痛感させられてしまった…。
これが直接の浅尾拓也投手の引退理由です。
しかし、浅尾拓也投手はプロ野球生活に悔いは全くないようで、
悔いは本当にありません。
全ての方に感謝しています。
初登板、初勝利、開幕投手…幸せだなと思うことが沢山経験できた。
と語り、あのサファテ投手までもが言及した、酷使されたことについては、
試合数の多さのことよりも、自分を信用して、使ってくださることが、一番の喜びでした。
と語っていました。
最後まで笑顔で語り、涙1つ見せなかった浅尾拓也投手の姿を見て、本当に悔いはない野球人生にできたんだな…と感じますね。
地元愛知で生まれ育ち、小さい頃から中日ファンだった浅尾拓也投手。
中日以外に指名されたら社会人へ進む。
とまで宣言するほどの中日愛を持った黄金時代の功労者が、2018年限りでユニフォームを脱ぎます。
本当にお疲れ様でした。
浅尾拓也投手の引退試合は、9月29日の試合でおこなわれます。
そういえば、日付以外全部嘘の某新聞は、浅尾拓也投手は引退試合を固辞したなどと言っていましたがガセネタだったようですね。
浅尾拓也の年度別成績を紹介
浅尾拓也投手は、球界屈指のイケメン投手として人気でしたが、成績もすごかったんですよ。
そこで、浅尾拓也投手の成績も振り返っていこうと思います。
浅尾拓也の年度別成績
2007年 19試合 4勝1敗1H 防御率3.53 WHIP1.39
2008年 44試合 3勝1敗1S12H 防1.79 WHIP1.03
2009年 67試合 7勝9敗6S33H 防3.49 WHIP1.16
2010年 72試合 12勝3敗1S47H 防1.68 WHIP0.87
★最優秀中継ぎ投手、ホールド・ホールドポイント(59HP)は世界記録
2011年 79試合 7勝2敗10S45H 防0.41 WHIP0.82
★最優秀中継ぎ投手、シーズンMVP、ゴールデングラブ賞
2012年 29試合 1勝1S15H 防1.50 WHIP1.00
2013年 34試合 2勝3敗1S22H 防1.47 WHIP1.30
2014年 22試合 1勝1敗8H 防6.16 WHIP1.53
2015年 36試合 1勝1敗3S16H 防3.19 WHIP1.55
2016年 1軍登板なし
2017年 4試合 0勝0敗1H 防御率12.00 WHIP2.67
この成績を見ると、改めて酷使の影響を感じますね…。
ただ、その酷使を抜きにして純粋に成績だけを見てみると、全盛期の浅尾拓也投手は、まさに怪物級のセットアッパ―だったことがよくわかります。
そのすごさは、
シーズンMVPを中継ぎで受賞したのは浅尾拓也投手1人だけ
という情報でわかってもらえるかと思います。
抑えまでひっくるめてのリリーフ投手という扱いにすれば江夏豊さんなどがいますが…。
セットアッパーでMVPに輝くというのは初の事例なため、歴代を見てもトップクラスのセットアッパーだったと言えます。
その前年となる2010年は、中継ぎながら12勝。
さらに日本プロ野球どころか、世界記録となる47ホールド59ホールドポイントをマークしています。
何と言っても世界記録…。
つまり世界一なわけですから、これは誇っていい記録だと思います。
セットアッパーは抑えに比べて過小評価されがちですが、この浅尾拓也投手、そして同時代に活躍した巨人の山口鉄也投手…
この2人がセットアッパーの地位を高めたと言っても過言ではないでしょう。
全盛期の浅尾拓也投手は、独特の投球フォーム、そして華奢な体からは考えられない速さのストレートと、パームやフォーク、スライダーを武器に打者を翻弄しました。
ストレートはなんと最速157キロ!
中日の日本人投手では、最速の記録を持っています。
(最速記録は2018年にジョエリー・ロドリゲス投手が左腕の日本プロ野球界最速159キロを記録し、これが球団1位)
あのテークバックが小さい腕の速い振りが特徴的なフォームは、もう癖のようになっているらしく、浅尾拓也投手曰く、
捕手をしていた時の投げ方が残ってしまっていて、何度治そうとしてもこうなってしまう。
そうですよ。
この癖となってしまった腕の振りが、浅尾拓也投手のもう1つの武器であるクイックに繋がります。
浅尾拓也投手を語る上で欠かせないのが、クイックや牽制、そして素早いフィールディングですよね。
浅尾拓也投手は入団時、150キロのストレートよりも、
牽制とフィールディングが武器です。
と語ったほど、自信を持つ牽制やクイック、フィールディングは一級品です!
クイックについては、近年最強ではないかと思われる足のスペシャリスト・赤星憲広さんをして、
浅尾選手がマウンドにいるときだけは盗塁をしようと思わなかった。
と言わしめたほど。
そしてフィールディングについても抜群で、球界屈指のフィールディングを誇っていました。
送りバントをセカンドでアウトにしたり、時にはダブルプレーにしてチームのピンチを救ったのは脳裏に焼き付いています。
先発登板が一度もなかった投手がゴールデングラブ賞を獲得した唯一の例
と言えば、浅尾拓也投手のフィールディングがどれほど素晴らしかったかわかってもらえるはずです。
浅尾拓也投手はフィールディングを磨くため、守備練習でショートやセカンドに入って練習をしていたので、投手志望でフィールディングを磨きたい人は、内野練習もするといいかもしれませんね!
浅尾拓也の年俸はいくら?
最後に、浅尾拓也投手の年俸についても紹介したいと思います。
浅尾拓也の年俸推移
2006年 契約金8000万円
2007年 1200万円
2008年 1700万円
2009年 3500万円
2010年 7500万円
2011年 1億3500万円
2012年 2億7500万円
2013年 2億2000万円
2014年 1億6500万円
2015年 1億2000万円
2016年 9800万円
2017年 7350万円
2018年 5600万円
浅尾拓也投手の全盛期は、2億円を超える年棒を手にしています。
よく考えれば、ホールドの世界記録を達成し、年間70試合以上に登板したのですから当然の見返りですよね。
同じくフル稼働していた山口鉄也投手と比べると年棒が少なめにも感じますが、そこは球団の資金力の差と言えるでしょう…。
しかし、中継ぎで2億円越えの年棒を手にする選手は多くはないので、全盛期が短いものの、間違いなく歴史に名を残すセットアッパーだと思います。
その後の酷使で両投手とも苦しい日々を送ることになってしまったわけですし、もう少し中継ぎの正当な評価がされてもいいような気がしますね。
なぜか抑えの年俸が高くなる傾向にありますが、セットアッパーが盤石でなければ、そもそも抑えの出番が回ってこないことだってあるのですから…。
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まとめ
球界屈指のイケメン投手・中日の浅尾拓也投手が引退を発表しました。
浅尾拓也投手は抑えを除く中継ぎとしては唯一のMVPを受賞、1シーズンのホールド、ホールドポイントともに世界記録を持つという素晴らしい投手でした。
しかし、酷使が祟ってここ数年は怪我で思ったような成績が残せないような状態が続き、ついに引退となってしまいました。
筆者としては、2018年、復活の兆しが見えていただけに、まだやれると思っていたのですが、浅尾拓也投手本人は限界だったみたいですね…。
間違いなく、中日の黄金時代を象徴する素晴らしい投手でした。
本当にお疲れ様でした。