そういえば、北海道って、なんで北海道っていうんだろう?
北海道といえば日本で一番大きな都道府県ですね。
冬の厳しい環境が生み出す、雄大な自然、美しい景色、そして美味しい食べ物。
そんな北の大地・北海道ですが、
北海道って、いつから北海道なんだろう?その名前の由来は?
なんで北海道だけ、“道”なのだろう?
ふと、そんな疑問を思ったことはありませんか?
この記事では、北海道の名前の由来や歴史をわかりやすく解説していきます。
北海道はいつから?歴史をチェック!
北海道は、その昔『蝦夷地(えぞち)』と呼ばれていました。
蝦夷の意味
えぞ。(えみしとも読む)
和人(日本人)が、アイヌ民族の居住地を指して用いた言葉とされています。
この蝦夷地では、和人が移り住むよりも早く、
先住民であるアイヌ民族
が独自の文化を展開していたのです。
『北海道』はいつから?
では、一体いつから北海道になったのでしょうか?
蝦夷地が北海道という名前に変わるまでの変遷を簡単に年表にまとめてみました。
13世紀 | アイヌ民族独自の文化の時代の幕開け |
14世紀末~15世紀 | 和人が蝦夷地に住みはじめ、アイヌ民族との抗争が始まる |
17世紀 | 1604年、徳川幕府の公認の元、松前藩の藩政はじまる |
17世紀~18世紀 | 松前藩と圧政に苦しむアイヌ民族が度々衝突 |
18世紀末~19世紀 | ロシアの南下政策から蝦夷地(北海道)を警護する為、幕府の直轄下に |
19世紀~ | 江戸幕府が崩壊。明治維新により新政府誕生
1869年、蝦夷地を北海道と改称 |
時代は、明治に変わってから『北海道』という名前がつけられました。
北海道が、日本に統合されたのは、思ったより最近のことだったのです。
『北海道』の名前の由来は?
1869年に新しく北海道となった蝦夷地。
その名前がつけられた由来には、アイヌ民族と親交を深めた一人の幕末探検家の働きがありました。
『松浦武四郎』という人物を知っていますか?
松浦武四郎は、北海道がまだ蝦夷地と呼ばれていた頃、アイヌの人々の手を借りながら6度に渡る調査をした人物です。
江戸時代の終わり頃の北海道(蝦夷地)について、たくさんの調査日誌を残し、その土地の実態を広く世の中に知らしめました。
メモ
2018年は、その松浦武四郎が生まれて200年。
『北海道』と命名されて、150年の節目を迎えます。
時代は明治、蝦夷地開拓が重要な課題となった政府は、蝦夷地を6度も探検した武四郎の意見を必要としました。
1869年には、本格的な蝦夷地開拓に伴い、新しい名前を考えることになった武四郎は、政府に6種類の候補を提出しました。
その候補の中に、
『北加伊道』
があったのです。
“加伊”とは、アイヌの人々が自分たちのことを”加伊”と呼んでいたことに由来されています。
(他に蝦夷の音読みとされる説もあります)
最終的に、“加伊”の部分の漢字を変えて『北海道』となったそうです。
『北海道』という名前がつけられた由来には、武四郎とアイヌの人々の強い絆があったのかもしれませんね。
北海道の“道”って?なぜ北海道だけが“道”なの?
というわけで、『道(どう)』の意味を調べてみました。
道の意味
道は律令国家(天皇中心とした中央集権的国家機構)行政区画の一つ。
古代日本に置かれた五畿七道からもわかるように、『道』とは『国』をいくつも含む広い地域を指す。
(例:東海道には三河国、遠江国、駿河国が含まれていた。)
なぜ北海道だけが”道”なのかといえば、
北海道だけが『道』で一つの行政単位として機能しているから
とされています。
明治初年に、北海道の地域全体に『開拓使』という官庁が設置されました。
開拓後には、
- 函館県
- 札幌県
- 根室県
と3県が設置された時期もあったのですが、これには混乱や批判が多かったのです。
そのため、内閣制度発足に伴う機構改革に伴い、再び北海道全体に『北海道庁』が設置されました。
以後、北海道は、全体で一つの行政単位となっているわけですね。
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まとめ
最後に、わかりやすくまとめておきます。
北海道の名前はいつから?
1869年。
その由来は?
本格的な蝦夷地開拓に伴い、新しい名前を考案する際、松浦武四郎によって命名。
『北海道』の元々の字は『北加伊道』だった。
この『加伊』とは蝦夷地の先住民であるアイヌの人々が自分のことを『加伊』と呼んだことに由来。
(蝦夷の音読みという説も)
北海道の『道』って何?
ポイントは広さ。
『道』という呼び名は、行政区画のことで、県にしては大きすぎる広範囲な地域であること。
なぜ北海道だけ『道』なの?
地域全体を対象に、ひとまとまりとして官庁が設置されたことで、一つの行政単位となったことから。
おわりに
北海道の名前の由来と歴史を調べていくと、現在の日本の形に至るまでに本当にいろんな変遷があったことに驚きました。
そして、いつの時代も未来のために尽力した人々がいたと改めて思います。
松浦武四郎は、自らのことを
『北海道人』
と呼んでいたそうです。
13世紀から19世紀に至るまで、長い間争いを繰り返し、結果として幕府に降伏せざるをえなくなったアイヌ民族。
しかし武四郎は『北海道』という名前に、彼らの自称を入れることで、
アイヌの人々の土地であること
を後世に伝えたのです。
彼はそうすることで、和人とアイヌの人々の間に主従関係ではなく、暖かい絆を結びたかったのではないでしょうか。
今でこそ当たり前に人が行き来し、たくさんの外国人観光客も訪れ、その土地のめぐみを分かち合うことができます。
『北海道』という名前は、民族を超えて繋がりあえる、そんな未来を願って示された“道”のように感じますね。