最近、やたらと甲子園の熱中症や怪我を押して出場する選手たちを美談化する動きがありますよね。
メジャーリーグのスカウトなどは、
「これはもはや虐待だ」
と言うのはまさにその通り。
近年の猛暑の影響による選手の熱中症問題は、主催の朝日新聞は一切報じていません。
これに関連して、前橋育英の荒井直樹監督にも、批判が集まっています。
2017年の骨折選手の起用に引き続き、2018年も熱中症で足が痙攣した選手を強引に起用したとして批判されているのです。
当記事では、前橋育英高校の荒井直樹監督について、彼の経歴や、評判が悪くなった原因について紹介します。
前橋育英高校・荒井直樹監督の経歴
前橋育英高校の荒井直樹監督とは、どんな人物なのでしょうか?
まずは荒井直樹監督の経歴について調べてみました。
荒井直樹のプロフィール
生年月日:1964年8月16日
出身:神奈川県横浜市
選手歴:日大藤沢 → いすゞ自動車
コーチ・監督歴:日大藤沢監督 → 前橋育英コーチ → 前橋育英監督
実は、荒井直樹監督は高校時代に、野球ファン(とくに中日ドラゴンズのファンなら)であれば、誰もが知っているあの人とともに2枚看板として活躍していたのです。
選手歴の欄にも書きましたが、荒井直樹監督は、日大藤沢高校出身。
そして、あのレジェンド・山本昌さんの1年先輩で、2枚看板として活躍していたのです。
荒井直樹監督の何がすごいかというと、高校時代に、
もう破られることはないであろう不滅の記録
を打ち立てています。
それが、
2試合連続ノーヒットノーラン
です。
昭和の怪物・江川卓さんが3回ノーヒットノーランを達成してはいますが、連続での達成はありません。
夏の大会、荒井直樹監督と山本昌さんは予選を交互に投げ、荒井直樹監督が2試合連続ノーヒットノーラン。
山本昌さんは2試合連続完封というダブルエースの活躍で、ついに準々決勝へ進出。
しかし、そこに立ちふさがったのが、3年春の大会でぼろ負けした相手…”Y校”こと横浜商業でした。
春の大会では荒井直樹監督、山本昌さんともに打ち込まれ、4対14で負けた相手…。
結局、この試合は山本昌さんが先発したものの、3-2で負けてしまい、甲子園への道は準々決勝で絶たれてしまいました。
山本昌さんは、この結果に泣き、荒井直樹監督に
「申し訳ない」
と言っていて、現在でも
「最後の試合、投げたかったんじゃないですか?」
と聞いてくるのだそうです。
しかし、荒井直樹監督としては、そのような気持ちはなく、山本昌さんがいたからこそ、ここまで来れたのだ、と、むしろ山本昌さんに感謝しているようすでした。
その後、荒井直樹監督は社会人のいすゞ自動車へ進むと、3年間投手をしましたが芽が伸びず、4年目に野手転向。
その後もくすぶっていましたが、当時臨時コーチとしてやってきていた東映フライヤーズの二宮忠士さんにアドバイスをもらったことで、打撃が開花!
スタメン選手として活躍し、チームを何度も都市対抗野球出場へと導いたのです。
最終的に、社会人野球13年のキャリアで、7度の都市対抗野球へ出場することができました。
そして13年間の社会人野球生活を終えた後、1996年から荒井直樹監督は母校・日大藤沢の監督を3年間務めます。
1999年には前橋育英高校にコーチとして就任。
コーチを2年務めた後に2001年に前橋育英高校の監督となり、2011年にセンバツ初出場へ導くと、
2013年には夏の甲子園初出場初優勝
という快挙を成し遂げ、前橋育英高校を群馬の強豪校へと鍛え上げたのです。
夏の甲子園には、2016年から3年連続出場を果たしていますし、前橋育英は完全に群馬の強豪校になったと言っていいでしょう。
群馬県といえば、古豪の前橋商業に加え、桐生第一や健大高崎、というイメージがありましたが、今ならこれら強豪校のリストに前橋育英高校を入れてもいいでしょう。
荒井直樹監督の指導方法は、
『凡事徹底』
そして何より特徴的なのは、
『滅多に怒らないこと』
と言われています。
高校野球において、怒らない監督というのは珍しく、たとえば選手がエラーをしたとしても、荒井直樹監督は怒りません。
一生懸命やったプレーなのですから、それを怒ってはいけない
と考えているようです。
逆に、エラー後に急いでボールを取りに行かないなど、手を抜いたプレーに対しては怒ることにしている…。
つまり、取り組む姿勢を大事にしているのが、荒井直樹監督の指導方法なのです。
荒井直樹監督の評判が最悪?熱中症の選手続投問題
このように、無名だった前橋育英高校を強豪校へ鍛え上げた素晴らしい功績がある一方で、2018年の甲子園では、荒井直樹監督が批判される立場になってしまっています。
なぜ荒井直樹監督は、批判されているのでしょうか?
その原因は、記憶に新しい夏の甲子園第9日目の3戦目、近江高校との対戦でした。
9回の裏、ノーアウト満塁というサヨナラのピンチを迎えた前橋育英高校に、さらなるアクシデントが襲います。
エース恩田投手の足がつってしまったのです。
症状から考えて、確実に熱中症による熱痙攣だと思われますが、長時間の治療の末に続投。
その結果、初球を弾き返されてサヨナラ負けしました。
まぁ、満塁サヨナラの場面での初球は狙いどころなので、うまく初球を打ったなという印象でしたが、それより問題だったのは、
荒井直樹監督が恩田投手を続投させたこと
でした。
荒井直樹監督は、
ピッチングに選手たちが勇気をもらった。
治療したら投げられる状態でしたので、(群馬大会から)恩田できたので、あの場面は恩田でいこうと。
本当に良くやった。
それしかないです。
選手たちはよくやったんで、責めるつもりはないです。
と発言。
これにネット上では、批判が集中。
ここまできて
「出たくない」
なんて言う選手がいるわけがないのですから、その子の今後の人生を考えれば、監督の方から出場を止めさせる必要もあったはずです。
投げられる状態だったとは言いますが、もしこれでノーアウト満塁のピンチを防いでいたら、恩田投手は延長戦も続投していたことでしょう。
だとしたら、一度熱中症の症状が出た投手を、もう一度炎天下の中に放り込むことになります。
熱中症にもかかわらず、無理して投げていることを勇気と呼んでいいのか?
熱中症を美談化させるな!
という観点から、荒井直樹監督の起用方法、さらに選手の熱中症に問題提起をしないNHK、朝日新聞に批判が飛び交っているわけですね。
それにしても、
荒井直樹監督だけ、批判が集中するのはなぜだろう?
と思う人もいるかもしれません。
なぜ、この一度の選手起用の問題で荒井直樹監督の評判が悪いのかというと…。
実は、これが一度目ではないからです。
荒井直樹監督は、2017年の夏の甲子園でも同じことをしていました。
2017年の前橋育英高校は、4番でキャプテンの飯島選手が、春ごろに手首を骨折していました。
しかし、それにもかかわらず、本人が出たいというので、ずっと出場させていたのです。
5月から手首を骨折しているにもかかわらず、手首を使う機会が非常に多い野球をやらせていたのです。
通常、そこは選手のことを思えば、止めさせるべき場面だと思いますが…。
本人が骨がなかなかくっつかないと言っていた状況を考えれば、野球をやることで症状は確実に悪化しています。
いくら本人が出たいと言っても、5月の段階なら無理はさせずに休ませてもよかったはず…。
それにもかかわらず、大人が止めずに選手を起用し続けたからこそ、責任を問われているのです。
ただし、美談化に反対の意見がある一方、
治療して投げられるならいいじゃないか。
本人の意思ならたとえその場で力尽きて命を落とそうと本望だろ。
という意見もあります。
確かに、酷使し続け、二度と野球ができなくなるかもしれませんが、大半の高校球児は高校で野球を辞めていきます。
それを考えると、高校野球に全てをかけたい気持ちもわかりますよね。
そして、
本人がいけるというなら行かせよう!
という荒井直樹監督の考え方も間違っていないように思えます。
飯島選手の場合は、このパターンが当てはまるので、本人が出たいならそれでいい気もしました。
…が、しかしです。
今回の恩田投手の場合は、熱中症です。
熱中症は、悪化すれば命の危険すらある危険な症状にもなります。
酷使し続けて、二度と野球ができなくなる程度では済まされません。
最悪の場合、マウンド上で野球人生だけでなく、自分の命の危険だってあるのです。
炎天下の中での試合ですから、あの場面であっても、投手の交代を考えるべきだったのではないか…。
という理由から、どうしても荒井直樹監督に批判が集まっていたようですね。
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まとめ
一歩間違えば、その後の人生に影響する問題だけに、今、高校野球の熱中症問題は、かなり取り上げられています。
しかも、熱中症での痙攣などにかかわらず続投した投手などを、
なぜか美談にしようとしている
という、熱中症と報道して問題視しないメディアの対応にも批判が出ています。
そして、選手は自分が熱中症であったとしても、甲子園は高校球児の夢の舞台です。
そこは無理を押してでも出場したい選手もいるでしょう。
それを止めてあげるべきなのが大人なのだと思います。
そういう意味で、骨折の飯島選手の時から何も変わらず、怪我や熱中症の選手を起用し続けていた前橋育英高校の荒井直樹監督が批判されてしまった…。
というのが、今回の事の顛末のようですね。