現・巨人のファーム打撃兼内野守備コーチである村田修一さんは、横浜、巨人、独立リーグで活躍した選手でした。
そんな村田修一コーチは、現役時代どんな選手だったのでしょうか?
また、なぜ村田修一コーチは、現役を引退することとなったのか?
当記事では、巨人の村田修一コーチについて、引退を決断した理由や評判、これまで成績・年俸を紹介していきます。
村田修一の成績をチェック!
まずは、村田修一コーチの現役時代の成績をチェックしてみました。
これまで、プロ野球、そして独立リーグでどんな成績を収めてきたのでしょうか。
村田修一の年度別成績
横浜時代
2003年 104試合 .224 25本 56打点 OPS.788
2004年 116試合 .242 15本 38打点 OPS.758
2005年 136試合 .252 24本 82打点 OPS.804
2006年 145試合 .266 34本 114打点 OPS.844
2007年 144試合 .287 36本 101打点 OPS.929 ★本塁打王
2008年 132試合 .323 46本 114打点 OPS1.062 ★本塁打王、ベストナイン
2009年 93試合 .274 25本 69打点 OPS.870
2010年 144試合 .257 26本 88打点 OPS.762
2011年 144試合 .253 20本 70打点 OPS.744
巨人時代
2012年 144試合 .252 12本 58打点 OPS.690 ★ベストナイン
2013年 144試合 .316 25本 87打点 OPS.896 ★ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2014年 143試合 .256 21本 68打点 OPS.732 ★ゴールデングラブ賞
2015年 103試合 .236 12本 39打点 OPS.683
2016年 143試合 .302 25本 81打点OPS .859 ★ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2017年 118試合 .262 14本 58打点 OPS.754
栃木BC時代
2018年 60試合 .343 9本 62打点 OPS.1.004
通算成績
プロ野球:1953試合 1865安打 .269 360本 1123打点 OPS.816
独立リーグ:60試合 72安打 .343 9本 62打点 OPS.1.004
こうやって年度別で成績を見てみると、村田修一選手は、『毎年安定して凄い成績!』というような、インパクトのある成績は残していません。
そうはいっても、2007年~2008年の成績は驚異的です。
とくに2008年は、北京五輪があったにもかかわらず、この成績です。
後半にブーストがかかる村田修一選手ならば、北京五輪がなければ、本塁打を50本は打っていたことでしょう。
一方で、意外にも打率はそれほどよくありません。
通算でもギリギリ.270に届いていない程度。
年度別では、ところどころ3割超えがあるので、もっと打っているイメージがあったのですが、全体で見ると少し物足りなく感じてしまいます。
思った以上に.250付近の年が多いです。
もちろん、すごい成績であるには変わりありません。
新人から15年連続2ケタ本塁打継続中、戦力外前年に3割を記録している打者がクビにになり、どこからも獲得されなかった
というのは、かなり異様な事態だと思います。
しかも、巨人は
「若返りを目指すために戦力外にした」
と言いながら、年齢の高い、中島裕之選手や岩隈久志投手を獲得しているのですから、なおさら理解できません。
村田修一の年俸推移!
では、村田修一コーチは、どのくらいの年俸をもらっていたのでしょうか?
さっそく、年俸情報も調べてみました!
村田修一の年俸推移
2003年 1500万円
2004年 3500万円
2005年 3150万円
2006年 4150万円
2007年 9000万円
2008年 1億6000万円
2009年 2億6000万円
2010年 2億6000万円
2011年 2億2000万円
2012年 2億2000万円
2013年 2億2000万円
2014年 3億円
2015年 3億円
2016年 3億円
2017年 2億2000万円
2018年 250万円
最高年俸は3億円と、凄まじい金額を手にしています。
ですが、年俸に見合った成績かと言うと、少し疑問が残りますね。
そしてプロ野球と独立リーグの年俸の差に、びっくりします。
なんと2018年は年俸250万円!
前年に比べると、約100分の1です。
これでは、お金を貯金していないと、税金が心配です。
村田修一が引退した理由は?
まだ現役として活躍できそうだったのに、引退という道を選んだ村田修一コーチ。
どうして村田修一コーチは引退を選んだのか…
引退を決断した最大の理由は、毎年7月末が期限となっている、NPB支配下登録の期間までに、どこのプロ野球球団からもオファーがなく、
NPB復帰ができないとわかったから
という理由です。
村田修一選手は、
「2018年に声がかからなかったら引退」
と、以前から語っていました。
そして、その通り、NPBから声がかからなかったことで、引退を決断。
最後は栃木ゴールデンブレーブスで、2018年のシーズンを終え、ユニフォームを脱いだのです。
村田修一の評判は?
村田修一コーチの現役時代の評判はどうだったのでしょうか?
プロ野球ファンからは、名選手として評価される一方、
『態度の悪さ』
という面での悪評も目立ち、
獲得球団がなかったのは素行不良が影響したから
と噂されるほどです。
では、村田修一コーチは現役時代に、どのくらい素行が悪かったのかというと、
- 巨人入団時に「気持ちを押し殺して横浜に入った」と発言
- ベンチは暇と全国ネットで発言してしまう
- ベンチ裏でだらける
- ミーティングを聞かない
- 勝手に監督室に入りTVを観る
- さらには監督室で寝ることもある
挙げればきりがなく、代表的なものだけでも、こんなにあります。
ただ、これは横浜時代のことで、
『巨人時代は巨人の厳しさなどで丸くなった』
とも言われていますね。
実際、選手たちからは、
坂本勇人選手「修さんの人間性が大好き」
岡本和真選手「高校から横浜で見てきて、人間的にも技術的にも、ずっと憧れていた」
など、裏表のない言動は、年齢や肩書に囚われない付き合いにも繋がり、選手たちからの評判はよかったのです。
逆に、裏表がないので、思ったことをズバッと言ってしまうため、それが集団の中では、素行の悪さとして目立ってしまうのでしょうね。
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まとめ
横浜時代は、かなりすごかったのですが、体重を落とした後の巨人時代は、長打の魅力が減ってしまったような印象もありますね。
そして、村田修一コーチが引退した理由ですが、
NPB復帰ができないとわかったから
という、2018年に、どの球団からもオファーが来なかったことが大きく影響していました。
2000本安打が近かっただけに、引退となってしまったのは残念でもありますね…。