元プロ野球選手の元木大介さんといえば、現役時は
「くせ者」
と呼ばれ、隠し玉などのセコい手を使うプレイヤー…。
そんなイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。
引退後は、お店を営んでは閉店を繰り返したことを『しくじり先生』で語るなど、あまり良いところがないように見えます。
では、元木大介さんは現在、何をしているのでしょうか?
また、現役時代の成績、そして意外と知られていない、大スターだった高校時代についても、この記事で紹介していきます。
元木大介の現在は巨人ヘッドコーチ
元木大介さんは現在、
プロ野球、巨人の一軍ヘッドコーチ
をしています。
2019年に一軍内野守備兼打撃コーチに就任し、試合中は三塁ベースコーチも担当しました。
三塁ベースコーチは、バッターへのブロックサインの伝達や、ランナーがホームに突入するかどうかを指示するポジション。
いかに元木大介さんがチームの中で信頼されているか、それがわかりますね。
そして、2020年からは一軍ヘッドコーチとして原監督を支えることになりました。
『コーチの束ね役』であり、チームのナンバー2
に指名されたことからも、元木大介さんに対する原監督の信頼は増しているといえるでしょう。
元木大介さんをコーチとして招聘したのは、他でもない原監督です。
低迷する巨人を再建するために3度目の監督就任となった原監督。
コーチとして元木大介さんに白羽の矢を立てたのです。
現役時代から『くせ者』として恐れられていた試合を読む力、相手の嫌がることをする力を、コーチとしても発揮しています。
背番号は77。
現役時代は、背番号2をつけていた元木大介さんが、なぜ、77をつけているのか。
それは、巨人コーチ就任直前のお仕事に深くつながりあるのです。
元木大介は過去に日本代表監督も!
あの元木大介さんが、国を代表する選手たちを率いる監督だった…。
そう言われて、信じられる人はどれくらいいるでしょうか。
元プロ野球選手の元木大介さんに、コーチや監督は似合わないイメージもありますよね。
現役引退後は、タレントとして活躍したり、ラーメン店を開いては閉店したり、時々野球解説者として中継に登場するなど、さまざまな仕事をしていました。
そんな元木大介さんが、なんと、
カル・リプケン12歳以下(U12)世界少年野球大会で日本代表監督
を務めていたことがあるのです。
この大会は、”鉄人”カル・リプケン氏の名を冠した野球大会。
12歳以下の少年を対象にして、毎年8月に開催される大会です。
日本は、2007年からボーイズリーグとヤングリーグで結成される日本代表が出場しています。
あの故・星野仙一さんが
子供に夢を
日本の野球を世界に
アマ野球の発展を
ということで支援。
遠征費用を負担し、『チーム星野』と呼ばれる日本代表チームを結成していました。
そして、元木大介さんが率いたチームは、見事優勝し、3連覇を成し遂げています。
ここで注意をしてほしいのは、U12監督と言われていますが、いわゆる侍ジャパンのことではありません。
侍ジャパンのU12代表監督は、仁志敏久さんです。
それにしても、90年代後半~00年代前半に活躍していた巨人OBの監督率は高いですよね。
侍ジャパンU12は仁志監督、U15監督は清水隆行監督、そしてカル・リプケンU12大会が元木大介監督…。
あの頃の巨人が好きな人には、とても懐かしく感じるメンツといえます。
実は、監督就任のきっかけとなったのは、
星野仙一さんがパイプ役となった
のだそうです。
もともと星野仙一さんは、元木大介さんのことを、高く評価していました。
元木大介さんが解説者として、
「今の巨人は何がダメか」
ということを星野仙一さんに聞いた時、星野仙一さんは
相手が嫌がる野球をしていかないとダメだ。
チームで戦っていないから、あいつさえ抑えておけば、あいつだけ打てば何とかなるチームに見える。
俺が監督の時、お前がいた時に、正直ほんとに嫌だった。
イライラした。
何してくるんだ。
と語っていたのです。
そして、大きな転機となったのが、2017年の交流戦のこと。
巨人対楽天の試合の取材のために、東京ドームへ来た元木大介さんを、星野仙一さんが呼び出し、
「よかったら、お前やれよ」
と、カル・リプケンU12大会と、チーム星野のことを教えてもらい、推薦してもらったのです。
その後、星野仙一さんは亡くなり、この話も消えたと思っていたころに、正式オファーが…。
星野仙一さんをきっかけに、元木大介さんが指導者としての道をスタートさせたのです。
こうした縁から、元木大介さんは巨人コーチ就任以降、星野仙一さんが監督時代につけていた背番号77をつけているのです。
なお、元木大介さんは3連覇達成後に監督を退任し、元ヤクルト監督の真中満さんが後任を務めることになりました。
元木大介の現役時代・高校時代の成績をチェック!
元木大介さんは、
巨人一筋14年
という現役生活を送り、引退しました。
戦力外となった後も、複数球団からオファーがありましたが、
「ジャイアンツが好きだから、入団したときから、このチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」
という信念から、33歳という若さで現役を引退したのです。
そんな元木大介さんのプロでの成績はどうだったのでしょうか?
元木大介の年度別成績
1991年 一軍出場なし
1992年 34試合 .186 本0 点2 OPS.534
1993年 80試合 .237 本4 点15 OPS.701
1994年 90試合 .280 本4 点25 OPS.711
1995年 67試合 .244 本3 点25 OPS.655
1996年 91試合 .229 本9 点35 OPS.675
1997年 101試合 .282 本9 点32 OPS.724
1998年 114試合 .297 本9 点55 OPS.802
1999年 114試合 .229 本6 点34 OPS.627
2000年 114試合 .274 本5 点29 OPS.725
2001年 123試合 .292 本9 点39 OPS.773
2002年 121試合 .257 本6 点52 OPS.653
2003年 60試合 .224 本0 点14 OPS.547
2004年 55試合 .240 本2 点13 OPS.607
2005年 41試合 .305 本0 点8 OPS.708
通算成績は、
1205試合 .262 66本 378打点 出塁率.328 長打率.369 OPS.697
という成績でした。
何というか、プロに入ってからの元木大介さんは、良くはありませんでした。
ハワイ浪人した1年で、まともに練習できなかったことが響いたためなのか、元からなのか…。
サボり癖がすごく、自主練どころか、メニューすらこなさなかったそうです。
しかも、元木大介さんは自著で、
「『くせ者』や『スーパーサブ』という立場で満足していた」
と語っていて、向上心もなかったのです。
そのため、平凡な成績におわってしまったわけですね。
でも、元木大介さんの高校時代は
大スター
と呼べるほど、全国的な人気を誇る大型ショートだったことを知っていますか?
大阪の古豪・上宮高校時代の元木大介さんは、甲子園に3回出場。
1989年の夏大会では、1試合2本塁打を放ち、甲子園の通算6本塁打は、清原和博さんに次ぐ2位タイの記録を持っています。
まさに記憶に残る男…。
スターとしての素質があったのです。
その人気ぶりは、甘いマスクも理由の1つです。
イケメンだった高校時代の元木大介さんを見ようと、3年夏の甲子園の際は女性ファンが殺到!
元木フィーバーが巻き起こり、しかも元木大介さんがこれまでの選手と違ったのは、
ファンを避けず、気さくな笑顔で手を振って応じる
という、まるで芸能人みたいな振る舞いをしたのです。
- 授業中に外を見たら女子校の生徒が元木大介さんをを見ようと学校にきていた
- 甲子園の開会式当日、混乱回避のために上宮高校だけ隔離されていた
などのエピソードもあるほど。
本当に、元木大介さんの高校時代は、とてつもない人気だったのです。
野球選手というよりは、アイドルのような人気でしたね。
元木大介の年俸をチェック!
最後に、元木大介さんの年俸を紹介します。
実は、成績の割に元木大介さんは、多くの年俸を手にしていたんですよ。
元木大介の年俸推移
1990年 契約金9000万円
1991年 840万円
1992年 860万円
1993年 980万円
1994年 2000万円
1995年 3900万円
1996年 3480万円
1997年 3660万円
1998年 4600万円
1999年 7500万円
2000年 7000万円
2001年 8800万円
2002年 1億2000万円
2003年 1億1200万円
2004年 1億円
2005年 1億円
なんと元木大介さんは、1億円プレーヤーだったんです。
成績からすると、打撃は普通、守備はお世辞にもうまいとは言えず走塁も普通…。
とても1億円プレーヤーとは思えないですが、ファンに人気があったからでしょうか。
あとは、金満球団の余裕といったところですかね。
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まとめ
元木大介さんは現在、巨人のヘッドコーチをしています。
現役時代は、成績はごく普通でしたが、隠し玉や読み打ちなど、敵を欺いたり、何をしてくるわからない戦術家。
そこが評価されています。
過去に、カルリプケンU12大会日本代表の監督を元木大介さんに託した、星野仙一さんも、
元木(大介さん)のような指導者がいるべきだ
と、その才能を認めたわけですからね。
星野仙一さんに認められ、落合博満さんからも、その実力を認められ、長嶋茂雄さんに愛された元木大介さん。
2020年の巨人はオープン戦で大苦戦し、深刻な状況です。
上手くチームを立て直してほしいものですね。