映画監督である井筒和幸監督が、また炎上騒動をやらかしてしまった…。
それも、とんでもない自己中心的な発言をきっかけに、大炎上勃発というのですから、由々しき事態ではありません。
また、この炎上騒動をきっかけに、またしても、
「本名は何?」
「国籍は韓国or北朝鮮?」
といったような、意味不明な疑問を持つネットユーザーも増えてしまっているようです。
それにしても、
なぜこんなことになっていくのか?
と考えると、ただ頭が痛い話です。
そこで改めて、本記事で井筒和幸監督の本名・国籍(日本or韓国or北朝鮮)や、大炎上騒動の内容をまとめてみました。
井筒和幸の本名は?
代表作『ゲロッパ!GET UP!』、『パッチギ』の監督を務めたことでもおなじみの、映画監督・井筒和幸さん。
一部からは、関西弁を巧みに操り、
なにかと批判的な物言いをするおじさん
という印象を持たれていますよね。
批判が多い人でもあるので、逆に批判されていることもあるようですが、なぜか、
「本名は?」
という意味不明な疑問を抱いているネットユーザーも多いみたい…。
本名さえ疑問視される現状…
というのも、彼は日本人ではなく韓国人か北朝鮮人ではないかと、変な疑いを持たれてしまっているのです。
まぁある意味で、かわいそうな気もするのですが、そこは自業自得な話だと思えてなりません。
(詳しくは後ほどお話していきます)
井筒和幸の本名は芸名と同じ
さて、もうここまで来たら、あえて彼の本名を話す必要はないと思いますが、気になる人向けに紹介しますと、芸名と同じ
井筒和幸
で間違いありません。
まぁ芸能人なら、芸名を別途使っている話もわかるのですが、あくまで彼は映画監督であり著名人です。
現在はタレント業もしていますが、それは本業ではありません。
なので、改めて芸名を使うのは、少し違う話になるかと思います。
井筒和幸の国籍は韓国or北朝鮮?
相も変わらず井筒和幸監督の話題となると、
「日本人ではない」
「国籍が韓国か北朝鮮である」
といったデマが飛び交っています。
しかし彼は、生粋の日本人で奈良県民。
経歴などを調べてもらえば分かる話ですが、あくまで井筒和幸監督は、
生まれも育ちも奈良
に間違いありません。
では、なぜ未だに、こんなデマがネット上で拡散されるのか…。
井筒和幸の国籍が韓国・北朝鮮と疑われる理由・背景
その一つの理由に、韓国や北朝鮮を擁護し、日本を批判する傾向が見られるからです。
例えば、日本人拉致被害者奪還の話では、
「日本人拉致被害者なんてどうでも良い!!一体、誰のせいで南北分断されたと思っているんだ!!日本人は北朝鮮に謝罪せよ」
といった話を平気でしてしまうのです。
こんな発言をしてしまえば、
井筒和幸監督は日本人ではない
と考える人が出てきても仕方ないでしょう。
ただ、この言葉の裏側には、どうしても北朝鮮派・韓国派でいなければいけない事情もあるのです。
日本人を蔑視してまで韓国・北朝鮮を擁護する理由
実は、井筒和幸監督は、『東方見聞録』という幻の映画を撮影した際に、エキストラの林健太郎さんを、落命させてしまった過去を持っています。
それも事故というより、
亡くなることがわかってやらかした
と言ってもおかしくない過激な演出だったそうです。
重さ8kgもある鎧を着て、水深2mの大掛かり滝壺のセットを組み、そこに入るように林さんに指示した井筒和幸監督…。
セットとはいえ、川の流れを利用したものですし、滝壺になっている以上、その流れは尋常ではありません。
滝を使って修行する人たちでさえ、何も身に着けていなくても危険というのに、8kgもある鎧を着て、もし何かあったら…と考えもしなかったのか?
改めてその話を聞いて、ただメチャクチャな話だと、怒りに震え上がる思いです。
エキストラを落命に至らしめた井筒和幸の黒歴史
当然、その指示に従った林さんは溺れて亡くなってしまい、遺族からは告訴されてしまいます。
後にビデオとして発売はされたそうですが、結局、この映画は公開中止となり、幻で終わったのです。
この映画の制作費10億円が無駄になり、当時、井筒和幸監督が所属していた映画制作会社『ディレクターズ・カンパニー』は倒産。
賠償金8000万円を井筒和幸監督も支払うこととなったのですが、そのお金がなく、八方塞がり…。
井筒和幸を救った在日朝鮮人・李鳳宇
そこで、『朝○総連』幹部の李鳳宇氏に8000万円を肩代わりしてもらい、最悪の状況を脱したというわけ。
さらに話は続き、李鳳宇氏が経営していた映画会社で、配給会社で制作する映画『パッチギ』の監督として登用されたそうです。
井筒和幸監督には、その恩義があるからこそ、何かと韓国・北朝鮮寄りに話をされることが多いとか…。
そして、その立ち居振る舞いが原因となり、
「日本人ではない」
「国籍は韓国・北朝鮮」
といったような言葉が揶揄の一面も含めて、ネット上で飛び交っているようです。
井筒和幸が韓国・北朝鮮寄りなのは自己都合
正直、この話を知り、井筒和幸監督は、自己都合でしか生きられない人だと、ただ愕然としました。
告訴され書類送検までされておきながら、そのことをちゃんと反省できていないのか、自身を助けてくれた人だけを擁護していく…。
それも日本人拉致被害者の痛みも無視して罵倒していくとは…。
同じ日本人として、なんともやるせない気持ちでいっぱいですね。
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井筒和幸監督の大炎上騒動の理由
芸能人の中には、
自分の考えが絶対である
と勘違いし、毒舌を吐いた瞬間に大炎上騒動が勃発する人がいますよね。
その一人が映画監督の井筒和幸監督。
過去にも映画『シン・ゴジラ』や『君の名は』を誹謗中傷し、大炎上騒動が勃発したこともあります。
そして、
致命傷な問題発言
を、またやらかしてしまったというのです。
井筒和幸の問題発言が致命的
その問題発言とは、
「ハンパない」
「神ってる」
といった言葉を
間違って使っている
と勝手な解釈で指摘し、さらに、
「これらの言葉を耳にしただけで、その相手とは会話したくなる」
と怪訝な物言いで批判しつつ、さんざん持論を展開し、誹謗中傷した上で、
「安っぽい造語は死語になってほしい」
と締めくくってしまうのです。
若者蔑視とも受け取れる批判に若者激怒!
この発言には、若者たちが激怒し大炎上となった模様…。
その掲示板を筆者も拝見しましたが、もう見るに耐えないくらいの誹謗中傷の数々…。
いかに若者たちが激怒しているかが伺えます。
さすがに、若者たちも感情任せで言い方がきついとは思いますが、気持ちは分かりますし、井筒和幸監督の発言は最低だと筆者も感じました。
言葉は方言でさえも乱れている
だいたい言葉なんて方言も含めて、基準とする言葉と比較したら、すべて乱れています。
例えば、東京都民の人々が、『関西の言葉は汚い・怖い』と感じる話を耳にすることがあります。
これは、標準語を基準に考え、馴染みがない関西弁に対して抱く感情をそのまま言葉にしただけの話です。
当然、基準が関西弁に変われば、逆に標準語が乱れていると批判することができます。
それが、関西の人たちが、『標準語はかしこまっている』と感じるといった話に表れていますよね。
このように、自身の慣れ親しんだ環境の言葉を是とするなら、その他の言葉は、どこかしら変化し・乱れていると捉えられてしまうのです。
世代間による言葉の使い方の違いでも乱れは感じるもの
もちろん、これは、世代間ギャップによる違いにおいても同じことが言えます。
今回、井筒和幸監督が、若者言葉に対して苦言を呈していますが、彼自身の言葉も、過去の人たちからしてみれば、若者言葉です。
つまり今の言葉でさえ、前の時代の人達からしてみれば、乱れていると指摘されておかしくないでしょう。
では、昔の人たちから、
「今の日本語そのものが死語にすればいい」
と、乱暴に切り捨てられた場合、私たちはそれを受け入れなければならないのでしょうか?
そんな馬鹿な話は許されないでしょう。
でも、井筒和幸監督は、それと全く同じことを若者に対して言っているのです。
だから、対象とされる言葉を使う若者たちが激怒するのも当然でしょう。
言葉とは文化の集合体の表れ
これは、『国語の神様』と言うキャッチフレーズでも慕われている、金田一秀穂さんの
「若者言葉(つまり仲間言葉)は、良くも悪くも常に変化するもので定まることはない」
という言葉から筆者が解釈した持論でもあるのですが、
言葉というのは文化の集合体であり、常に生きて変化するものである
と考えています。
つまり、それぞれの地域・年代・仲間たちの間で定着した造語が、一つの言葉として生まれ、文化として定着しているわけです。
井筒和幸監督は、「ハンパない」、「神ってる」という言葉を全否定していますが、それも若者たちの間で生まれた言葉であり文化です。
もちろん、使うタイミング・場所は考える必要があるでしょう。
しかし、その言葉自体を全否定することは誰にも許されることではないのです。
井筒和幸監督の発言は価値観の押しつけ&異文化の全否定
なのに、若者を無差別に脅すかのごとく、自身の価値観を押し付けてしまう…。
そんな行為を若者たちが黙って看過できるわけがありませんよね。
まだ掲示板での大炎上で済んでいるだけですが…。
文化や風習・ライフスタイルの否定から戦争も始まったりします。
宗教上の戦争なんて、まさにその一つの表れです。
そのことを井筒和幸監督にはしっかり考えて欲しいですね。
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まとめ
映画監督・井筒和幸監督の本名は『井筒和幸』、国籍は韓国や北朝鮮ではなく生粋の日本人。
本記事を通じて、改めて理解してもらえたらと思います。
正直、日本人と認められないくらい、言動には問題があり、炎上騒動を引き起こしている若者言葉に対する批判もその一つ。
言葉は生き物であり、変化するものなのは当然です。
言語学者・金田一秀穂先生も認めている話なのに、なぜ若者言葉を標的に否定するのか?
『言葉の乱れ』と勝手に解釈し、若者言葉(ハンパない・神ってる)を
死語にしてしまえ
と乱暴に言い切る…。
もはや、ここまで来たら救いようがないと落胆する次第です。