『へ』と『ヘ』
二つの文字はどこが違うのでしょうか?
左はひらがな、右はカタカナの『ヘ』の字です。
全く同じに見えますね。
ほかの字は、ひらがなとカタカナは違うのに、なぜ『へ』だけは同じなのでしょうか?
同じではないものの、ひらがなとカタカナが、よく似ている字は、ほかにもあります。
『か』と『カ』
『も』と『モ』
『り』と『リ』
三つとも似ています。
でもよく見れば、明らかに違います。
『へ』だけ、どうしておなじなのでしょうか?
不思議ですよね。
そこで、この記事では、その理由を、ひらがなとカタカナの生まれた歴史から探ってみました。
『へ』と『ヘ』がほんとに同じか?拡大して調べてみた
フォントサイズを300%に拡大してみました。
『へ』『ヘ』
よくみると、微妙な違いが浮かび上がってきますね。
左の『ひらがな』は、なんとなく曲線的でやわらかみを帯び、右の『カタカナ』は直線的・男性的です。
同じに見えた二つですが、拡大すると微妙な違いがあったのです。
そういえば、『へ』という字を手で書いてみますと、無意識にひらがなは柔らかく、カタカナは直線的に、頂点も角張って書いていませんか?
現代のPCにも、別々の字としての精神が組み込まれているわけですね。
ひらがなもカタカナも漢字から生まれた
『日本にはもともと固有の文字はなかった』
というのが定説です。
というのも、中国で使われていた漢字を借用したのです。
でも、もちろん日本にも話し言葉はありました。
じつはひらがなもカタカナも、中国渡来の漢字を日本流にアレンジして、うまれた文字なのです。
はじめ日本で使われていた書き言葉は、漢字ばかりでできていました。
しかし中国語にはない、日本固有の事物や名前や話し言葉を、漢字だけで表すには、どうしても無理があり、使い方に困ってしまったのです。
そこで古代の人たちの知恵は、これを補うために一つずつ漢字を当てて、音として読む方法を作りだします。
漢字の特徴である表意性(意味を表すこと)をそぎ落として、漢字を音として使うのです。
これが
『万葉仮名』
と呼ばれる文字で、カタカナやひらがなのルーツとなりました。
ここでクイズです。
『久羅下那州多陀用弊流(時)』
を読めますか?
答えはシンプル…。
『くらげなすただよへるとき』
です。
『古事記』の本文に記されている文章です。
日本の国土が、まだ形を整えていない状態を
『クラゲのようにフワフワと漂っている(時)』
と表しているのです。
字の形は漢字ですが、カタカナやひらがなと同じ、音だけの文字『万葉仮名』でした。
万葉集に出てくる文字は『万葉仮名』と呼ばれ、これがカタカナやひらがなに形をかえていくのです。
(参照:山口仲美著『日本語の歴史』岩波新書)
『カタカナ』と『ひらがな』どうして二つも仮名があるのか?
小学生の頃、仮名が二つもあって面倒だと思いませんでしたか?
同じ音を発するのに、どうして二つも違う仮名ができたのでしょうか。
『万葉仮名』から、まず漢字を補助する形で『カタカナ』が生まれ、続いて『万葉仮名』を基に、簡略化した文字『ひらがな』が生まれました。
『ひらがな』は、漢字を下書きにして、文字全体を書きやすい草書体に崩したもの。
『カタカナ』は、漢字の一部分をぬきだして簡略な形にしたもの。
どちらも音だけを持っていて、単独では意味を持たない表音文字です。
カタカナはそもそも漢文で書かれた本や経を勉強する際に、日本語でメモを取るために生み出された文字で、用いたのは漢字や漢文とつきあいが深い男性が中心だった。
一方でひらがなは『仮名』や『おんなで(女手)』と呼ばれ、女性の使い手を中心に物語や日記、和歌、手紙で用いられてきた。
当時は、女性にとって漢字を書くことはあまり得意でなく、好ましいことでもないと考えられていた。
(京都大学大学院文学研究科・大槻信教授の講演記録より)
さらに
平安時代という同じ時代なのに、
位相の違う二つの言葉の世界
があったということが、日本語がひらがなカタカナという二種類の文字を生み出し、長く現在に至るまで使い続けている理由だ。
と教授は結論づけています。
『ひらがな』は女性ばかりでなくて、男性も使いました。
平安時代に漢字が不得手な女性に、漢字ばかりの恋文を送ったりはしなかったはずです。
男性は和歌を読み、時にもひらがなを使いました。
『古今和歌集』に収められている作品は男性が多く、ひらがなで書かれています。
一方、当時女性に許されていた文字は、ひらがなだけでした。
しかし才女で知られた紫式部や清少納言が、漢文で書かれた『日本書紀』などを盛んに読んでいたことは衆知のことでした。
(前掲『日本語の歴史』より)
こうして、カタカナとひらがなは、主に男性と女性という違う使い手のもと、初めての日本語として生まれ育ったのです。
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ひらがなの『へ』とカタカナの『ヘ』がそっくりに誕生した理由!
さきほども紹介しましたが、『ひらがな』は漢字の全体を崩して書きやすい草書体にしたもの。
『カタカナ』は漢字の一部分をぬきだして簡略な形にしたものです。
そこで具体的な例を挙げて、できあがる課程を比較してみましょう。
もとの字が異なるケースです。
安 → あ
阿 → ア
ひらがなの『あ』は、『安』という字の全体を崩してできています。
カタカナの『ア』は、『阿』という字の『こざとへん』の部分だけを取り出してできたもの。
以 → い
伊 → イ
ひらがなの『い』は、『以』という字の全体を崩してできています。
カタカナの『イ』は、『伊』という字の左部分だけを取り出したもの。
もとの字が同じケースです。
加 → か
加 → カ
利 → り
利 → リ
二つとも、ひらがなは全体を崩し、カタカナは一部分を切って使っています。
『か』と『カ』
『り』と『リ』
は、よく似ていますが、それでも違いは明瞭です。
最後に…。
今回の話題となった『へ』と『ヘ』のケースです。
部→ 阝 → へ(ひらがな)
部→ 阝 → ヘ(カタカナ)
ひらがなの『へ』も、カタカナの『ヘ』も、もともとの字は『部』でした。
しかし『部』という字は、物部(もののべ)や日下部(くさかべ)のように名前として広く使われていたのです。
また、役職の名称としても多く使われて、とても使用頻度の高い字でした。
そのため、書き手に面倒がられたのか、日頃から『阝』という字に省略されて使われていたのです。
その結果、ひらがなとカタカナに変わるべき親文字が、すでに簡略化された『阝』となっていました。
あげくに、ひらがなは『部』の全体ではなくて、すでに省略された『阝』を崩して『へ』に。
カタカナは『阝』を切りようがなくて、そのまま崩して『ヘ』となりました。
というわけで、『へ』は、ひらがなもカタカナもそっくり同じ形となってしまったのです。
『阝』から『へ』へ行き着くまでにもいろいろあった?
『部』を省略した『阝』という文字が『ヘ』に至るまでには、さらにいろいろと文字の形を変えた経過があるとされています。
奈良の文化財研究所によりますと、出土した木簡に描かれた文字にその形跡があるのです。
古い木簡の文字は、読みにくいのですが…。
『飛鳥池遺跡から出土した7世紀の木簡』では、名前の末尾の『阝』は『ア』。
『平城宮跡から出土した8世紀の木簡』では、『日下阝』は『日下マ』となっています。
『阝』から『ア』、さらに『マ』と簡単になり、平安時代にさらに省略が進み、カタカナ・ひらがなの『へ』の字が誕生したと報告されています。
(木簡は細長い木の板でできていて、墨で文字が書かれ、紙が普及するまで書簡として使われました)
(奈良文化財研究所『古代の省略文字』HPより)
『へ』の文字ができあがるまで、さらに一世紀もの月日がかかったことになりますね。
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まとめ
『へ』のひらがなとカタカナが同じ理由と、その違いや見分け方を調べてきました。
他のひらがなやカタカナと違い『へ』の形が、ひらがなとカタカナでそっくり同じになったのには、特別な誕生の歴史があったからでした。
ひらがなとカタカナの歴史を調べてみますと、もともと話し言葉しか持たなかった古代の人が、中国から漢字を借りてきて使い始めたこと。
そのためにいろんな不便があって、苦労を重ねながら
自分たち独自の日本語であるカナカナやひらがな
を作り上げていったこと。
そこには先駆者としての様々な知恵と工夫がありました。
私たちも、過去からの贈り物・ひらがなとカタカナを日本語の文化として上手に使っていきたいものですね。