1987年に放送された、アース製薬『セボン』のテレビCMに出演していたフランソワーズ・モレシャンさん。
若い世代の人は、おそらく彼女のことは知らないでしょう。
かつては、フランス人ということもあり、とにかく美しい女性として、TV番組などに出演していましたよね。
フランス語なまりと感じさせる独特のイントネーションの日本語が魅力的な女性で、日本との国交に大きく貢献してくれました。
しかし、いつしかテレビからも姿が見られなくなり、いまどうしているのか心配する声もちらほら…。
そこで本記事にて、フランソワーズ・モレシャンさんの現在や、彼女の夫との出会いや娘のことも、あわせて探ってみました。
フランソワーズ・モレシャンの現在
フランソワーズ・モレシャンさんのことを覚えていますか?
近年は、アメリカに限らず、多数の外国人タレントが日本で活躍していますが、まだ昔は、欧州出身の外国人タレントは少なかった時代…。
当然というべきか、日本からしてみれば、当時のフランスは、遠い異国の地であり、”憧れの存在”とも言うべき国だったような気さえします。
そんな中、
フランス人初の日本在日の文化人
として、日仏の関係を密なものにするきっかけを与えてくれたのが、フランソワーズ・モレシャンさん。
フランソワーズ・モレシャンの輝かしい功績
彼女は、ソルボンヌ大学出身のフランス語講師として、1958年、NHK『楽しいフランス語』に出演するために来日。
以降、たまにTV番組に出演し、人気を博していきます。
その結果、彼女を通じて、フランスに興味を持つ、若者が増え始めたそうです。
もちろん、彼女の貢献だけでは、日仏の関係が密なものになりません。
ただ、そのきっかけを与えてくれたことは間違いないでしょう。
大げさな話、1972年に連載スタートした人気漫画『ベルサイユのばら』も、もしかしたら誕生しなかったかもしれません。
そして、宝塚歌劇団の代表的なミュージカルの題材に使われることもなかったかもしれません。
今でこそ芸術の都としてパリを中心にフランスに対して、多くの日本人が関心を持っていますが、それもどうなっていたのか…。
本当に大げさと言われればそれまでなんですが、いま振り返って考えてみると、フランソワーズ・モレシャンさんの功績は、計り知れない…。
少なくとも筆者は、そのように感じています。
日仏親善に貢献した、フランソワーズ・モレシャンの現在
さて、日本とフランスをより親密な関係にする貢献をもたらしたフランソワーズ・モレシャンさん。
最近は、テレビで彼女の姿を見かけませんよね。
そのため、とくに10代・20代の多くの若者は、彼女のこれまでの功績はもちろんのこと、彼女の存在さえ知らないでしょう。
では、フランソワーズ・モレシャンさんは、現在、どのような暮らし(活動)をしているのでしょうか。
改めて、彼女の現在を調べてみると、なんと
タレント(芸能)活動は引退していて、2012年に金沢に移住していたこと
がわかりました。
彼女が金沢を選んだ理由は、
金沢には景観を守る条例があるから
でした。
これには、
フランス人が『セーヌ川』に誇りを持っていること
が関係しています。
金沢の犀川(さいがわ)には、注意書きの看板などがなく、彼女にとって大事な”川”の景観を大事にする金沢は、ぴったりな場所だったようです。
タレント(芸能)活動引退していたフランソワーズ・モレシャン
まぁ、芸能活動引退といっても、テレビでの出演することをやめたのでしょう。
フランソワーズ・モレシャンさん自身、
- ライフスタイルアドバイザー
- エッセイスト
- ユネスコ日本協会スペシャルアドバイザー
- 元シャネル美容部長
- 外国人タレント
と様々な肩書・経歴を持つ人でしたから、その中の外国人タレントの部分だけ引退したのかもしれません。
エッセイストとしての現在の活動…
ちなみに、彼女はまだ現在もエッセイストとして、読売オンラインの北陸版にて
『私の金沢』
というエッセイを執筆しているそうです。
実際にこのエッセイを読んだ人の話では、
「モレシャンさんの世界観が伝わる心なごむエッセイ」
なんだとか…
相変わらずフランソワーズ・モレシャン節炸裂といったところでしょうか。
彼女は、エッセイストとして東京とパリを飛び回る忙しい生活を送っているようですよ!
フランソワーズ・モレシャンの功績は時代をも超える…
現在では、木村拓哉さん・工藤静香さんの次女Kokiさんもフランス語が堪能という話を耳にします。
それだけ、若い世代でもフランス語が話せる人が増え、より日本とフランスが身近なものとなりました。
現在、フランソワーズ・モレシャンさんのテレビ出演は、ほとんど見られなくなってしまいました。
しかし、それでも彼女の功績は、日仏親交という形で根付いているのです。
フランソワーズ・モレシャンの夫と二人の出会い
日本とフランスの架け橋になってくれたことで、2009年には、国家功労勲章を授与されたフランソワーズ・モレシャンさん。
現在では日本の文化を愛し、和食もこよなく愛されているらしく、すっかり日本文化に惹き込まれているみたいですね。
彼女のように日本文化を愛してくれる外国人タレントが増えていることは嬉しいことです。
フランス人と日本人!二人の男性を愛したフランソワーズ・モレシャン
さて、そんなフランソワーズ・モレシャンさんですが、かつてフランス人の社会学者・ギイ・モレシャンさんと結婚し、離婚しています。
さらに現在は、
10歳年下のフランス映画・音楽評論家の永瀧達治さん
と結婚しているそうです。
では、彼女は、どのようにして運命の相手と出会い、結婚に至ったのでしょうか?
前夫:ギイ・モレシャンとの出会い
前夫のギイ・モレシャンさんとは、彼女が一度フランスに帰国した頃に出会った人のようです。
その出会いの経緯は、公表していないのでハッキリしていません。
まぁ、彼女のことですから、仕事などを通じて運命的な出会いをしているのでしょう。
それで、前夫との間に娘も生まれたのですが、離婚。
その後、しばらくはシングルマザーとして日々を過ごします。
現在の夫・永瀧達治との出会い
1974年、シャネルの美容部長として、娘を連れて再来日したフランソワーズ・モレシャンさん。
現在の夫・永瀧達治と出会い、結婚に至ります。
永滝達治さんは日本のフランス音楽・映画評論家、翻訳家をしています。
1974年に再来日したフランソワーズ・モレシャンさんは、前の夫と別れたばかりで、子供を連れての来日で心配なこともあったでしょう。
そんなときに、永瀧達治さんが
相談相手
になってくれたそうですよ。
翻訳家としてフランス文化にも詳しい彼と、すぐに意気投合したのかもしれませんね。
そして、永瀧達治さんと再婚し、日本を離れられなくなったフランソワーズ・モレシャンさん。
以降は、日本でタレント活動などを通じて生活していきます。
もしかしたら、今の夫である永瀧達治さんとの出会いが、フランソワーズ・モレシャンさんの運命をも大きく変えたのかもしれませんね。
現在も夫婦仲良しで、
一緒にいないときは生存確認のために電話をかける約束
をしているのだそう。
お互いに遺書を書きあっている
という情報もありました。
長年一緒にいて歳を重ねた夫婦が、ずっと互いを思いやれる関係は素晴らしいですよね。
フランソワーズ・モレシャンの娘とは?
最後に、フランソワーズ・モレシャンさんの娘のことも、簡単に紹介したいと思います。
彼女が28歳の時、前夫との間の子供として、アガタ・モレシャンさんが誕生しました。
アガタ・モレシャンさんは、現在55歳。
かつては、故・水野晴郎さんが手がけた映画『シベリア超特急』シリーズにも出演。
女優として活躍する他、フランス語講師としても活躍。
彼女も10歳の頃に、母と共に日本に来日しているので、しばらく日本で育ち、日本で活動していたことは間違いありません。
アガタ・モレシャンの現在は?
ただし、映画『シベリア超特急3』に出演してからは、女優としての彼女の姿もスクリーンから消え、どのような活動をしているのか全く分かりません。
フランス語講師も辞められているのでは?
なんて話も耳にしますし、もしかしたら母国・フランスに単身で帰国しているのかもしれませんね。
彼女は、フランソワーズ・モレシャンさんにとって大事な一人娘です。
それだけに、母・フランソワーズ・モレシャンさんと共に、元気な姿を見せてほしいと思う次第です。
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まとめ
日本とフランスの友好に大きく貢献してくれた、フランス人エッセイスト・タレントのフランソワーズ・モレシャンさん。
彼女は既にタレント活動は引退しています。
現在は、金沢でエッセイを執筆したり、たまにTV番組に出演しながら、穏やかに過ごしているそうです。
夫とは現在も仲良しで一緒にいられないときは
生存確認の電話をする約束
をしているのだとか。
前夫との間に生まれた一人娘・アガタ・モレシャンさんも、女優・フランス語講師として活動していたそうですよ。
いつまでも仲良しで素敵な夫婦でいてほしいものですね。