髙田明ジャパネットたかた元社長の年収や資産が凄い!経歴も調査!

大手通販会社・ジャパネットたかたの元社長で、現在は、J1のV・ファーレン長崎のオーナーでもある高田明さん。

あの独特の甲高い声は、ジャパネットたかたの代名詞として定着し、今の礎にもなっていますよね。

さて、そんな高田明さんですが、実は、小さなカメラ販売店から、あれ程の大企業を築き上げているそうです。

父が営んでいた小さなカメラ屋から、全て自前で、あそこまで大きな企業へと大変貌遂げた高田明さんの実績は実に輝かしいものです。

この記事では、高田明さんの経歴や、資産・年収を調査し、まとめていきます。

『ジャパネットたかた』元社長髙田明の経歴

独特の甲高く明るい声が魅力的で、通販番組の中でもムードメーカーとして、他の社員を牽引し続けていた、ジャパネットたかたの元社長・高田明さん。

想いを全力で伝えなければ、商品の良さは伝わらない

と、常にテンションをあげて全力で商品の魅力を伝え続けてきた…。

そんな髙田明さんの哲学は、社員たちにも伝わり、現在放送中のジャパネットたかたの通販番組出演する、

  • 塚本慎太郎
  • 中島一成
  • 丸尾詩織
  • 河野友里

社員ひとりひとりに受け継がれていますよね。

時折、耳がキーンとなってしまいそうな、彼ら彼女らの明るい声が聴こえ、なんだか番組を見ているだけで、気持ちが明るくなってしまいます。

高田明さんの考えは、ジャパネットたかたの通販番組を見ているとよく理解できます。

商品一つ一つそれぞれの最大の魅力を明るい声で伝えてくれたら、なんとなくでも良い商品と感じることができます。

そんな哲学を拡散し、全て自前で尽力し続けてきたからこそ、ジャパネットたかたとして、成長していったのかもしれませんね。

さて、そんな高田明さんは、現在、経営から一歩身を引き、外から応援する立場で、『ジャパネットたかた』を支えているそうです。

とはいえ、これまでの功績が消えることはありえません。

では改めて、高田明さんの経歴をみていきたいと思います。

髙田明の経歴

高田明さんは、1948年11月3日、長崎県平戸市出身の69歳。

カメラ店を営む父の下、四人兄弟の次男として生まれ、幼少期は長崎平戸で過ごし、長崎県立猶興館高等学校卒業後、大阪へ。

大学は、大阪経済大学経営学部へ入学。

経営学はもちろんのこと、英語の勉強も熱心になり、後に電子辞書の販売に大いに活かしたエピソードも…。

大学卒業後の高田明さんは、京都の機会制作会社『阪村機械製作所』に入社。

貿易社員として日々業務に明け暮れます。

また、1972年には、約2年間、西ドイツ(現在のドイツ)・デュッセルドルフで海外赴任も経験しています。

どうも、この時の経験などを踏まえて、

翻訳会社

を立ち上げようと考えていたみたい…。

そして、阪村機械製作所を辞め、本格的に翻訳会社の立ち上げに向かって動き始めるのです。

しかし、なかなか上手く軌道に乗せられず頓挫…。

道半ば挫折し、1974年に、生まれ故郷である平戸に帰省…。

そこで、実家のカメラ店を手伝いながらの生活が始まったのです。

『ジャパネットたかた』設立のきっかけ

そんな、高田明さんは、実家のカメラ店で順調に業績を上げ、1978年、彼が30歳の頃に、『カメラのたかた』として、佐世保市に移転。

さらに1986年1月には、『カメラのたかた』から独立し、ジャパネットたかたの前身となる『株式会社たかた』を設立します。

独立と言っても、『カメラのたかた』の派生のようなもので、実父が会長に就任し、事業内容はカメラの販売からスタート。

ただ、他のカメラ店と異なり、即日現物・手渡しをモットーに事業を展開し、『株式会社たかた』は業績をどんどん拡大していくことに…。

販売の手法としては、ソニーのビデオカメラが脚光を浴び始めると、ソニーの特約店となり、一方では、カラオケブーム到来に伴い、パイオニアのカラオケセットも販売…。

このように、流行に便乗しながら、様々な商品を販売するようになっていたのです。

突如舞い込んだラジオ番組出演依頼

そんな最中、高田明さんの知人から、地元局・長崎放送のラジオ番組内で、通販コーナーへの出演依頼が入ります。

知人の頼みでもあるので、快く引き受け、パイオニアのカラオケセットを販売したのです。

これが大ヒット!

数ヶ月分の売り上げを、たった1日で達成!

この結果を見て、高田明さんは、地道に店で販売するより、通販番組で宣伝したほうが売れると見越し、1990年3月に、ラジオショッピングへ進出。

その後、どんどん業績を上げ、1996年には、テレビショッピングにも進出…。

その3年後には、社名を現在のジャパネットたかたに変え、大手通販会社として業務を行うようになったのです。

『ジャパネットたかた』設立後の髙田明

その後のことは、みなさんも知っての通りです。

佐世保市日宇町の本社屋内にスタジオを構え、自前で全てをまかないながら、通販番組を放送。

今もなおCS番組で、ジャパネットHDというチャンネルを持ち、24時間365日、通販番組を全国に向けて放送…。

その結果、全国の人たちに多くの商品を販売し、名実ともに大企業へと急成長。

さらに『ジャパネットたかた』の通販番組を経て、髙田明さんだけでなく、社員も全国区で有名になるほど知名度を上げていくわけです。

『ジャパネットたかた』を襲う大事件…

しかし、そんな『ジャパネットたかた』で、ある事件が勃発してしまいます。

それは、2004年に起きた個人情報流出事件。

これによって、しばらく活動自粛してしまうことに…。

そして、その余波もあったのか、業績は下落してしまい、自身の辞職をかけて、勝負の年を迎えました。

髙田明の原点回帰と真摯な姿勢…

髙田明さんは、原点に戻り、一生懸命に商品の魅力を誠実に伝え続けていきました。

その結果、業績が回復…。

再び、『ジャパネットたかた』が全国区で業績を上げ、また一方では、社員たちに自身の哲学を浸透することにも成功します。

髙田明のプライベート

プライベートでは、『カメラのたかた』時代に共に働いていた女性(ジャパネットたかたの元副社長)と結婚し、三人の子供にも恵まれます。

長男・旭人さんは、大学卒業後、『ジャパネットたかた』に入社。

そして、高田明さんは、

  • 『ジャパネットたかた』の社員に、自身の哲学が浸透しきったこと
  • 自分がいなくても、それぞれが考え、業務を遂行することができると認識できたこと。
  • 社員に自身の会社を任せられると感じたこと

以上の理由から、2015年1月、経営陣から身を引き、長男・旭人さんに社長業をバトンタッチしたのです。

経営陣からの引退したその後…

その後は、事務所『A and Live』を設立。

『ジャパネットたかた』のバックアップを続けながら、TV番組などにも出演…。

一方では、2017年からJ2(現在はJ1所属)のV・ファーレン長崎の代表取締役に就任し、チーム再建に着手。

当時J2所属していたV・ファーレン長崎を、初めてJ1に昇格させることに成功…。

ただ、J1初年度である2018年は、長崎にとって苦しいシーズン…。

しかし、名古屋・鳥栖・G大阪など、他チームの不調もあって、なんとか降格圏から外れています。

果たして、V・ファーレン長崎をJ1残留させることができるか…。

まだまだ高田明さんの活躍に期待されますね。

と以上が、『ジャパネットたかた』の元社長・高田明さんの経歴です。

経歴から分かる髙田明の商売人(経営者)としての真摯な取り組み

髙田明さんは、常に真摯に商品を通じて顧客と向き合い、ユーザー目線で商品の魅力を伝え続けた生粋の商売人…。

その事が、改めて彼の経歴からわかるような気がしますね。

経営からは身を引いたものの、まだまだ高田明さんは元気です。

今後、陰ながら会社や社員たちを支え、一方で、V・ファーレン長崎を盛り上げていくと思います。

そんな高田明さんの活躍を、今後も楽しみにしている次第です。

髙田明の年収はいくら?

『ジャパネットたかた』の元社長である、髙田明さんの年収が気になると、ネット検索している人がいるみたいですよね。

そこで、彼の年収を調べてみたのですが、はっきりとした年収は分かりませんでした。

ただ、後ほどお話しますが、総資産を踏まえて考えると、

年収20~30億円くらい

はあったのではないでしょうか。

まぁ現在は、経営から身を引いているので、年収がいくらになっているかは分かりませんが、それでも相当な年収を稼いでいるんだと思いますよ。

でなければ、まずJリーグクラブのオーナーになんてなれませんし…。

髙田明の資産が凄い

一代で、父が営んだカメラ店から、大手通販会社にまで成長させた髙田明さんの資産は、とんでもない金額です。

なんと

約600億円

という噂も…。

何やら、髙田明さんが長者番付にも掲載されたらしく、

年商も軽く1000億円を超えているとか…

まぁあれだけ全国区で有名な通販会社として認知されていますし、それだけの売り上げを達成してもおかしくはないでしょうね。

それにしても、約600億円もの資産を所有しているなんて…。

Jリーグのチームを立て直すことだってできますよね。

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まとめ

ジャパネットたかたの元社長である髙田明さんの経歴を探ってみると、商売人として偉大というより、真摯に商売に向き合う人物であることがわかりました。

大変な年収や資産は、

顧客に対して少しでも幸せになってもらいたい

と、商品の魅力を誠実で熱心に伝えてきた結果でしかありません。

ただ、資産が約600億円という話や、J1所属のV・ファーレン長崎のオーナーとして、クラブを再建させたその手腕には、ただ驚かされるばかり…。

経営不振で、選手の給与さえ払えなかったクラブを立て直し、J2からJ1へと昇格させた手腕は見事ですよね。

まだまだ、元気な経営者でムードメーカーとして活躍してくれることを願うばかりです。

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