渋沢栄一の経歴や学歴をチェック!会社の功績と名言もすごい!

20年ぶりに

1万円札・五千円札・千円札の紙幣を刷新する方針

なのだそうです!

約30年続いた平成が終わりを告げ、2019年5月1日からは新元号・令和の時代がやってきます。

紙幣も新しくなり、日本経済が活性化されるといいですね!

そこで気になるのは紙幣に印刷される人物は一体誰なのかということですよね。

福沢諭吉さんにかわる、新一万円札に載る人物は

『渋沢栄一』

という人物に決定しそうという話です!

渋沢栄一さんは

資本主義の父

と呼ばれているのですが、経歴や学歴なども気になるところ。

彼は、会社の功績と名言がすごいということなので、そちらもチェックしたいと思います。

今回は、新一万円札になる人物・渋沢栄一さんの経歴や学歴、会社の功績と名言についても調べていきます!

渋沢栄一の経歴や学歴をチェック!

まずは簡単に渋沢栄一さんのプロフィールをチェックしていきますね。

名前:渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)

生年月日:1840年3月16日

出身地:現在の埼玉県深谷市血洗島

職業: 幕臣、官僚、実業家、教育者

渋沢栄一さんは、

  • 藍玉の製造販売
  • 養蚕
  • 米、麦、野菜を生産する農家

の長男として誕生。

彼の生まれ育った渋沢家では、原料の買い入れから販売まですべてを行っていたため、

商業について詳しくなること

が必要だったのです。

彼はこのときに、自ら仕入れをしたりした経験が、

後の現実的な合理主義思想に繋がった

といわれるのだそうですよ。

実際に自分で考えて仕入れ・販売をすることで、どうすればいいのかを常に考えながら生きてきたのですね。

渋沢栄一さんが幼いころから行ってきたのは、商いだけではありませんでした。

  • 5歳の頃から読書
  • 7歳の時に『四書五経』や『日本外史』を学ぶ
  • 大川平兵衛より剣術『神道無念流』を学ぶ

商売や知識を増やすこと、剣術に至るまで様々なことを経験しているのです。

彼の学歴は、どこどこの学校で学んだということではなく

  • 幼い頃から父に学問 の手解きを受けた
  • 従兄弟の尾高惇忠さんから本格的に『論語』』を学んだ

ということみたいですね。

そして、1858年の当時19歳のときに

尾高千代さんと結婚。

その後は、なんと

一橋慶喜(徳川慶喜)氏

に仕えることになり、

  • 一橋家領内を巡回
  • 農兵の募集

の仕事をしていたそうですよ。

1866年12月5日に

一橋慶喜(徳川慶喜)が将軍になった

ときには、渋沢栄一さんは

幕臣(幕府の長である征夷大将軍を直接の主君として仕える武士)

になりました。

将軍に仕えていたなんて驚きですね!

幕臣の仕事をしていたということで、かなり頭の切れる賢い人だったということがわかりますね。

渋沢栄一さんは

『私利を追わず公益を図る』という考え

を持ち、生涯この考えを貫き通しています。

このような彼の考え方や公共への奉仕は、早くから世間に評価されていたのです。

渋沢栄一の会社の功績をチェック!

渋沢栄一さんは、一橋慶喜(徳川慶喜)将軍の元を離れたのちに、

1869年1月に静岡で商法会所を設立

し、その後すぐに

大蔵省に入省すること

となります。

彼は大蔵官僚として、

  • 改革案の企画立案
  • 度量衡の制定や国立銀行条例制定

の仕事を行いました。

しかし、

大久保利通さんや大隈重信さんと対立

したことが原因で、1873年に退官します。

退官後間もなく、官僚時代に設立を指導していた

第一国立銀行(現:みずほ銀行)の頭取に就任

したのです!

さらに第一国立銀行だけでなく、

七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導

しています。

さらに

  • 東京瓦斯
  • 東京海上火災保険
  • 王子製紙(現王子製紙・日本製紙)
  • 田園都市(現東京急行電鉄)
  • 秩父セメント(現太平洋セメント)
  • 帝国ホテル
  • 秩父鉄道
  • 京阪電気鉄道
  • 東京証券取引所
  • キリンビール
  • サッポロビール
  • 東洋紡績
  • 大日本製糖
  • 明治製糖
  • 澁澤倉庫

など、

500以上の多種多様な企業の設立

に携わってきたのです!

1912年には

対日理解促進のためにアメリカの報道機関へ日本のニュースを送る通信社を立案。

この案については成功はしていませんが、

現在の時事通信社と共同通信社の起源となった

ともいわれています。

さらに、渋沢栄一さんは教育にも力を入れ、

  • 森有礼さんと共に商法講習所(現一橋大学)
  • 大倉喜八郎さんと大倉商業学校(現東京経済大学)

の設立に協力。

ほかにも、

  • 二松學舍(現二松學舍大学)の第3代舎長に就任
  • 学校法人国士舘(創立者・柴田徳次郎)の設立・経営
  • 同志社大学(創立者・新島襄)への寄付金の取り纏め

に関わっています。

また、

女子の教育の必要性

を考え、伊藤博文さん、勝海舟さんらと共に

  • 女子教育奨励会
  • 日本女子大学校
  • 東京女学館

の設立に携わりました。

ほかにも、

日本国際児童親善会を設立

し、国際交流を深める活躍もしています。

1931年には中国の水害のために、中華民国水災同情会会長を務め義援金を募るなど、

民間外交の先駆者

としても知られています。

こうして渋沢栄一さんは、

約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力

したといい、彼の功績は華々しいものでした。

彼は数多くの企業・会社の設立に携わり、現在日本に欠かせない大事な会社をたくさん作ってきたということがわかりましたね!

渋沢栄一の名言をチェック!

次に渋沢栄一さんが残した名言をチェックしていきましょう。

まずはこちらの名言から。

人は全て自主独立すべきものである。

自立の精神は人への思いやりと共に人生の根本を成すものである。

この言葉からは、

一人ひとりが自立することは人生の根本である

として、自立することで他人を思いやることができることを伝えています。

次の名言はこちらです。

全て形式に流れると精神が乏しくなる。

何でも日々新たにという心がけが大事である。

毎日同じことの繰り返しだ

という人も多いと思います。

しかし、ありきたりな毎日では、精神が乏しくなっていくのです。

この言葉からは、どのようなことでも、

日々何か新しいことをしようという心がけが大切

なのだと伝えています。

次の名言。

事業には信用が第一である。

世間の信用を得るには、世間を信用することだ。

個人も同じである。

自分が相手を疑いながら、自分を信用せよとは虫のいい話だ。

世間に信用してもらうためには、

まずこちらが先に世間を信用すること

が大切だと伝えています。

自分を信じ、相手を信じたときに初めて、相手からも信じてもらえる

ということなんですね。

次の名言がこちらです。

真似をするときには、その形ではなく、その心を真似するのがよい。

いいなと思ったものを真似するときは

その形ではなく本質である心

を真似するように心がけると、自然といいものができるということでしょう。

形だけを真似しても、本家にかなうはずがありませんね。

どのような心がけで素晴らしいものを作り上げたのかという、

本質に目を向けることの大切さ

を伝えています。

次の名言はこちらです。

反対者には反対者の論理がある。

それを聞かないうちに、いきなりけしからん奴だと怒ってもはじまらない。

問題の本質的な解決には結びつかない。

初めから頭ごなしにだめだというのではなく、相手の話をよく聞き、相手の考えを理解した上で話し合わなければならないということですね。

本質的な問題解決をするためには、

互いの本質を知る

ことが大切だと伝えています。

彼の名言はたくさんありますが、

どれも現代社会に通じるもの

であり、参考にできる心がけばかりです。

仕事に関する心がけ、人生を豊かにするための自分の心の持ちよう、自分がどうあるべきを考えさせられますね。

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まとめ

紙幣の刷新は、偽札対策も兼ねて20年ごとに行われており、

2024年をめどに渋沢栄一さんの一万円札

にかわる予定です。

渋沢栄一さんはお札に載るような素晴らしい功績の持ち主で、

  • 500以上の多種多様な企業の設立
  • 約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力

してきました。

現代人も教訓にした名言もたくさん残しており、一万円札にぴったりの人物と言えるのではないでしょうか。

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