江川紹子の経歴と結婚を調査!張本勲との不仲やツイッター炎上の真相

ジャーナリストの江川紹子さんは、オウムと戦ったジャーナリストとして有名です。

しかし、最近では、Twitterで炎上する発言を何度かしているので、

変な発言をする左翼のおばさん

程度にしか思われていないかもしれません。

この記事では、江川紹子さんの経歴やプロフィールを紹介し、過去のTwitter炎上、さらには張本勲さんとの不仲説について調べてみました。

結婚はしてる?江川紹子の経歴

ジャーナリスト・江川紹子さんの経歴を紹介していきます。

江川紹子のプロフィールと経歴

名前 江川紹子(えがわ しょうこ)

生年月日 1958年8月4日

出身地 東京都杉並区

教育 早稲田大学政治経済学部卒

職業 ジャーナリスト

略歴

千葉県立船橋高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒

1982年 神奈川新聞社の社会部記者となる。

1987年 退社しフリーライターとなる。

江川紹子さんが結婚しているかどうかについても調べてみましたが、

神奈川新聞の記者時代に結婚、その後に離婚している

という『バツイチであること』がわかっています。

その後は再婚した話も聞かないため、現在は独身なのでしょう。

江川紹子さんは、神奈川新聞社では社会部記者として、警察取材や連載企画などを担当しました。

1989年には、息子がオウム真理教に入信したという母親から、脱会について相談され、弁護士の坂本堤さんを紹介します。

しかし、それが後の悲劇を生むことに…。

この坂本堤弁護士、坂本という名字とオウムで感づいた人がいるかもしれませんが、坂本弁護士一家事件で亡くなられた弁護士です。

坂本弁護士は、江川紹子さんがオウム脱会に関する相談を持ちかけてきたことをきっかけに、オウムへの批判・追及をするようになりました。

オウムに目をつけられ、最終的に一家全員が命を奪われることになってしまったのです。

江川紹子さんは、その後、オウム真理教問題を取材し続けていくこととなります。

しかし、オウム問題の追及というのは、身の危険があるもので、江川紹子さんもその例にもれず…

命を狙われ、睡眠中に猛毒のホスゲンガスを部屋に注入されるという襲撃に遭ってしまいます。

幸いにも、物音に気付いたため、襲撃者が逃げ出し、ガスの噴射量が少なかったため命に別状はありませんでした。

オウム事件が終結した後は、2006年8月に、麻原彰晃こと松本智津夫の四女の未成年後見人となります。

しかし、2007年9月には、後見人辞任の申し立てを行いました。

その理由は、

「教祖の後継者という自覚で行動している者を、支援するわけにはいかない」

ということだそうです。

ここまでの経歴だと、江川紹子さんは反社会的勢力と戦った勇敢なジャーナリスト、というイメージが湧きますよね。

しかし、その後の江川紹子さんは、だんだん左翼化してきてしまい、次第に体制側に対する批判が多くなりました。

これでは、自身が戦ってきたはずのオウムみたいなものです。

とくに、Twitterの発言は何度も炎上しているのです。

江川紹子のTwitter炎上発言

江川紹子さんは、Twitterでどのように炎上したのでしょうか。

まずは、平昌オリンピックの男子フィギュアスケートでのツイートから紹介します。

そのツイートというのが、こちらです。

羽生結弦選手、宇野昌磨選手が金メダル・銀メダルをとった時にしたツイートです。

このツイートの考え方だと、たとえばドイツがノルディック複合で上位を独占しても、

「ドイツ人スゴイ!」

は禁止用語となりますね。

「ヨハネス・ルゼック選手スゴイ!ファビアン・リースレ選手スゴイ!」

と言わなければなりません。

正直なところ、羽生結弦選手も宇野昌磨選手も日本人なのですから、それを一纏めにして日本スゴイ!と言っても、何の問題もないと思います。

それだけでなく、オランダやドイツがメダルを独占しても、いちいち選手の名前を言わなければならないというのは、何とも馬鹿げた話です。

また、御嶽山が噴火した時には、

なぜ御嶽山に自衛隊を派遣?

警視庁や富山県警の機動隊や山岳警備隊を派遣をした方がよい

などという、とんちんかんなツイートをしたこともありました。

その当時の江川紹子さんと軍事ブロガーのJSF氏のやりとりがあるので、紹介しますね。

※江川紹子さんは、後に誤りを認めています。

火砕流に巻き込まれても平気な装甲車両を持っているのは、自衛隊だけだからじゃないかな

雲仙普賢岳では活躍しましたよ

以上の説明を受けた江川紹子さんは、JSF氏への返信として

装甲車は火砕流に勝てない

と断言しているのです。

その後のやりとりは、以下の通り。

江川紹子『装甲車や戦車は、火砕流には勝てません』

JSF『え?勝てますよ?NBC防護能力があるので平然と行動できます』

JSF『えっと、江川さんは一体どういう根拠でそんなことを言われてるんですか?実際に耐えられますよ』

江川紹子『現地で聞きました』

JSF

『誰に?装甲車の専門家でもない人に聞いても意味がないです』

『装甲車はハッチを占めていれば火砕流にも耐えられますし、大きな噴石も装甲で跳ね返します』

『江川さんの勧めるような警察や消防の車両ではどちらも無理でしょうね』

結局、江川紹子さんは自身の無知を認めたのです。

警察や犯罪関連の取材ばかりしてきた人が、体制を批判したいがために、自分の畑でないところに首を突っ込んで、無知を晒し自滅…

江川紹子と張本勲は不仲?

江川紹子さんという人物は、

張本勲さんの怒りを買って、『サンデーモーニング』を降板した

ということがあります。

そのことから、江川紹子さんと張本勲さんは不仲なのかと感じている人も多いみたいですね。

実際のところ、江川紹子さんは張本勲さんと不仲なのでしょうか?

まずは、事の顛末から振り返ります。

2010年の『サンデーモーニング』で、楽天・巨人戦のニュースになりました。

その試合では、現巨人の元楽天・岩隈久志投手が、回途中で降板しました。

監督の指示による降板だったのですが、余力を残しての降板、最終的に9回に巨人に逆転されて負けてしまったということもあり、張本勲さんが、

「無責任だ」

として、

おなじみの『喝』を岩隈久志投手に入れたのです。

しかし、それに対して、江川紹子さんが

「え~っ」

と、張本勲さんに反論。

しまいには張本勲さんが怒り、

張本勲さんが江川紹子さんを『サンデーモーニング』に出演させないことを要求、TBSが了承し、江川紹子さんは降板となった

ということを明かしたのです。

これだけを見ると、なんとなく江川紹子さんと張本勲さんは不仲のように感じますが…

そうとも言い切れません。

なぜなら、東京スポーツの報道では、

張本勲さんが江川紹子さん降板を知ったのは東京スポーツ取材だったそうで、とくに怒っていない

と判明したからです。

「いろんな意見があるのは当たり前のこと」

として、わだかまりはないとしました。

まぁ、そもそも江川紹子さんと張本勲さんは、

畑の違うコメンテーターが親交を深めることもなく、あくまで出演者同士の関係です。

毎週出演する張本勲さんと違い、江川紹子さんは月一の出演だったので、いくら長い間出演していたからといって、所詮は一番組で関わる程度の存在です。

仲というほどの関係ではなく、ただのゲスト程度にしか考えていなかったのではないでしょうか。

張本勲さんにはわだかまりがないそうですし、不仲というわけではないでしょう。

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まとめ

江川紹子さんは、オウム関連の取材で、一躍有名になりました。

オウム事件を徹底追及、自身の身の危険が迫りながらも、オウムと戦う姿勢が評価されていた素晴らしいジャーナリスト”だったのです”。

しかし、近年になると、反体制的なツイートや、無知を晒してひんしゅくを買っているなど、左翼に成り下がってしまった印象ですね。

張本勲さんにツッコみ、番組を降板になる過去にありましたし、トラブルメーカーになってしまったのかもしれません。

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