筋肉庭師・村雨辰剛の妻や結婚を調査!wiki風プロフで経歴を紹介!

クイズバラエティ番組『ネプリーグ』に出演した村雨辰剛さんを知っていますか?

実は彼は、

スウェーデン出身で、日本の文化に惹かれ庭師となり、改名までしている

という異色の経歴を持つ人物。

筆者も、初めてネプリーグで彼の存在を知り、

「またすごい人が現われたな…」

と驚かされるばかりです。

さて、そんなスウェーデン出身の庭師・村雨辰剛さんですが、一体どんな人なのでしょうか。

本記事では、村雨辰剛さんのwiki風のプロフィールや、本名、庭師になった理由、結婚の有無(嫁・妻がいるのか)を調査し、まとめていきます。

村雨辰剛(むらさめたつまさ)のwiki風プロフィール!本名は?

海外の人が、日本文化に惹かれ、いつしか来日して日本文化に携わっていくことは、最近よくある話ですよね。

日本独自の神社仏閣、着物・和服など、海外には無い日本独特の文化はたくさんあります。

外国人には珍しく思えるのでしょう。

時折、外国人で舞妓に憧れ、京都に旅行し舞妓体験している人を観る事があるのですが、このときばかりは、

「まだまだ日本も捨てたものじゃない…」

と、考え直させられます。

さて、そんな日本文化が、外国人たちに高く支持されている中で、ある一人の外国人が、日本で庭師として活動しています。

それも、現在では日本に帰化し、日本人として生活しているのです。

日本に帰化したイケメン筋肉庭師

その人物とは、上の画像にあるように、筋肉庭師としても脚光を浴びている村雨辰剛さん。

一見、イケメンハーフの日本人に見えるかもしれません。

そもそも、『村雨辰剛』って名前は、明らかに日本人という印象の名前ですもんね。

どう考えても、名前の響きだけを捉えると、外国人とは思えないのが正直なところでしょう。

しかし彼は、

日本人として帰化したスウェーデン出身の人物

だったのです。

きっと、村雨辰剛さんを初めて見た人は、いろんな驚きがあるでしょう。

では改めて、筋肉庭師・村雨辰剛さんのプロフィールや本名を、wiki風にまとめていきます。

筋肉庭師・村雨辰剛のwiki風プロフィール

村雨辰剛さんは、1988年7月25日、スウェーデン生まれの30歳。

両親は共にスウェーデン人。

そのため、村雨辰剛さんは生粋のスウェーデン人。

子供の頃からスウェーデン以外の文化を持つ国に憧れがあり、インターネットで海外のことを調べていく内に日本に関心を持つように…

村雨辰剛が日本を好きになった背景

そして、16歳の頃に3ヶ月間、神奈川でホームステイする村雨辰剛さん。

彼は、ホームステイ先のある家族の風習に衝撃を受けます。

それは、昔ながらの日本家屋で、仏壇の前で毎朝お経を読む習慣がある家庭だったのだとか…

今でこそ、西洋の文化を取り入れているところもある日本ですが、中には昔ながらの文化を残しているところもあります。

そんな日本の伝統を大事にしている風習に衝撃を受け、村雨辰剛さんは、ますます日本を好きになっていったそうです。

一方、母国スウェーデンは、近代化になりすぎているのか、昔ながらの伝統を重んじるという風習が無いみたい…

そのことに、村雨辰剛さんはひどく不満を抱いていたらしく、子供の頃から、日本語を勉強し、日本での生活を目標に日々を過ごしていたそうです。

そんな姿を見ていた両親も、彼に自由に生きていってほしいと、日本への移住を応援してくれていました。

来日以降の村雨辰剛

そして、来日して語学講師として、しばらく生活していた村雨辰剛さん。

日本の師弟関係に憧れていたこともあり、23歳にして庭師の世界に飛び込みます。

最初は、アルバイトとしての求人しか無く、それでも構わないと、愛知県西尾市の『加藤造園』で働いていた村雨辰剛さん。

親方は仕事に対して厳しい人らしく、基本的なことを疎かになるとこっぴどく叱られたり、最初は雑用しかやらしてもらえなかったりしていたそうです。

それでも、

『伝統を受け継ぐには、しっかり下積みし、師匠から時間をかけて受け継がなければいけない』

と、考えていた村雨辰剛さん。

厳しい下積み期間を経ながら、庭師として大成していきます。

またその中で、ウェイトトレーニングに明け暮れ、ボディービルの大会に出場したり、モデル・タレントとしての仕事をしてみたり…

「不慣れな立ち位置に居続け、いろんなことに挑戦していきたい」

という想いから、庭師としての活動の傍ら、様々なことに挑戦し続けているそうです。

「日本を愛している」と言うだけあって、日本語も流暢です。

さらにスウェーデン語はもちろん、英語も含めて3ヶ国語を話せます。

語学の優れた人でもあるんですね。

村雨辰剛が日本に帰化した理由・背景

また、26歳の頃に、

「胸を張って『日本に住んでいる』と言える人でありたい」

と、考えるようになり、両親を説得して日本人に帰化しました。

『村雨辰剛』という名前も、

庭師の親方が付けてくれた名前

らしく、日本人として、この名前に改名したんだとか…

村雨辰剛の本名

気になる村雨辰剛さんの本名ですが、

『ヤコブ・セバスティアン・ビヨーク』

というそうです。

名前からしてスウェーデン風の格好いい名前ですよね。

さすがに日本への帰化には反対だった両親…

正直、日本人として帰化することは、ある意味、『母国を捨てる』ということにも繋がりかねません。

実際に、父親からは、

「もし戦争になったら、日本人として戦い死ねるのか?お前はその覚悟を持てるのか?」

と言われたそうです。

日本人として帰化することは、単純に言えば、国籍をスウェーデンから日本に移すだけの話であり、それ以上でもなければ、それ以下でもありません。

まぁ日本国籍となるために改名する必要性は出てくるとしても、それまで抱えていた価値観を、すべて捨てることではないので、単純といえば単純です。

ただ、それはあくまで表面的な話でしかありません。

実際に帰化するとなると、いろいろ問題はあるでしょう。

万が一、戦争という最悪の事態が起こったときに、両親と彼が敵国として戦わなくてはいけないことも起こりえます。

一つ間違えば、縁を切るなんてことにもなりかねませんし、単純に

「帰化します」

と言って、できるようなことではありません。

しかし、村雨辰剛さんは、だとしても日本人として胸を張って生きていきたいと考え、日本へ帰化しました。

それだけ日本をとことん愛し、誠実に日々を生きている人なのです。

村雨辰剛の日本帰化は、日本への愛の証

今の世の中、揚げ足取りや自己都合に生きている人が多く、辟易している社会が蔓延しているように思います。

ただ、中には、村雨辰剛さんのように、日本の文化・伝統を愛し、誇りを持って生きている人もいます。

彼が日本人として帰化したことは、日本人以上に日本を愛している証でもあるわけです。

そのことを知らされると、まだまだ日本は捨てたものではないと思えてきますね。

村雨辰剛(むらさめたつまさ)の結婚をチェック!嫁・妻の存在は?

筋肉ムキムキで、イケメンなルックスは、女性の多くが放置しないだろう…

そんな印象さえ伺える庭師・村雨辰剛さん。

ネプリーグでの出演も含め、メディアに露出が増えるに連れて、多くの女性の黄色い声が聞こえてきそうです。

それだけに、きっと妻や嫁と呼べる人物と結婚しているのではないかと、ネット上でも囁かれているのです。

しかし、調べてみると、

そのような話は聞かれませんでした。

村雨辰剛は恋愛よりも日本庭園LOVE?

日本文化を愛し、庭師として修行し続けている村雨辰剛さんは、彼女や結婚どころではないのかもしれませんね。

ただ将来、愛する人ができることも十分に考えられます。

今は結婚相手(嫁または妻)となる女性はいませんが、近い将来には嬉しい知らせが聞かれるかもしれません。

その動向を注目していきたいものですね。

村雨辰剛(むらさめたつまさ)が庭師になった理由

外国人が、日本の文化・風習に惹かれる話は分かりますが、たくさんある日本文化の中で、村雨辰剛さんは、なぜ庭師という仕事を選んだのか?

きっと、そんなことを疑問に思う人もいると思います。

では、あらためて村雨辰剛さんが庭師になった理由を見ていきましょう。

庭師になったきっかけ

実は、村雨辰剛さんは、

決して庭師に憧れて来日してきたわけではありませんでした。

先程もお話したと降り、あくまで、伝統と文化を後世に伝え続けていく日本文化に興味を持っていただけでした。

極端な話、村雨辰剛さんにとっては、日本庭園も、好きな日本文化の一つという程度に過ぎなかったのです。

ただ、彼自身、

  • 昔ながらの師弟関係が築けること
  • 日本の伝統と文化に携われること

この2つの条件で、語学講師を続けながらも、別の仕事を探していたのです。

そんな中、とある求人雑誌に、愛知県西尾市の『加藤造園』の求人募集が掲載されていたらしく、それを見て、村雨辰剛さんは、応募。

もちろん、加藤造園は弟子を募集していたわけではありません。

庭師の仕事が認められ、師弟関係を築けた?

ただ、村雨辰剛さんの誠実さも親方の心を突き動かしたのか、最終的には師弟関係を築くこととなったようです。

先程もお話しましたが、村雨辰剛さんが日本へ帰化する際の新たな名を名付けてくれたのも、加藤造園で指導してくれている親方です。

それは加藤造園で働き始めてから3年後の話…

そのことを考えても、3年間でしっかり親方の指導についていき、信頼を得た末に、師弟関係を認めてもらえたのでしょう。

日本庭園や日本文化を愛する村雨辰剛

日本には古き良き文化・伝統というのが存在し、それを壊すこと無く後世に伝えていく魅力があります。

村雨辰剛さんはそんな日本が大好きで、だからこそ庭師として日本庭園を守るべく、設計・施行・管理に携わっているのです。

日本人の中では、『日本で暮らすのは嫌だから海外に移住したい』という人が増えている中、日本を愛してくれる外国人がいるとは…

ちょっと感慨深いものがありますね。

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まとめ

筋肉庭師として近年脚光を浴びている村雨辰剛さんは、スウェーデン出身のイケメン男子。

現在は日本に帰化して日本人として生活しています。

両親は、生粋のスウェーデン人で、日本を愛し、日本に帰化したに過ぎません。

本名は、ヤコブ・セバスティアン・ビヨークと言い、現在の『村雨辰剛』という名は、庭師の親方に名付けてもらい改名したものとか…

日本独特の文化の一つである、日本庭園を創り上げる仕事に就いたのも、彼が伝統と文化を愛し、師弟関係で受け継いでいくスタイルを好んだ結果…

まだ結婚はしていませんが、これだけの情熱があって、さらにイケメンです。

きっと素敵な女性が現れるでしょう。

ますます庭師として活躍し、公私共に幸せになってほしいものですね。

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