野村克也元監督の年収や総資産はいくら?現役時代の年俸もチェック!

『ノムさん』の愛称で親しまれてきた、名監督の野村克也さんが、2020年2月21日に亡くなりました。

野球界に悲しみが広がった日であり、筆者も大いに悲しみました。

亡くなられた後も、野村克也さんの活躍や名言は今でも輝き続けています。

野村克也さんの野球人生、その活躍は素晴らしいものでした。

そんな野村克也さんが現役時代に、どのくらいな稼いでいたのか、気になりますよね。

この記事では、野村克也元監督の年収や総資産について、現役時代の年俸もチェックしていきます!

野村克也元監督の現役時代の年俸は?

まず、野村克也さんの現役時代の年俸をチェックしていきます。

とはいっても、野村克也さんの現役時代は、とても昔の時代です。

何かと適当だったり、情報が残っていなかったりするので、正確に1年ごとの年俸情報はありませんでした。

今でこそ契約金がある野球選手ですが、野村克也さんがルーキーで南海ホークスにテスト入団した1954年は…

契約金はありませんでした。

まさかの契約金がゼロ!

テスト入団だったことも影響しているのでしょうか。

しかも、入団したのが

新聞の募集広告を見て応募した

という、ドラフトがなかった時代を感じさせてくれる入団なのも驚きですよね。

テスト入団した野村克也さんの年俸は…

8万4000円

でした。

金額に驚くかもしれませんが、月給ではありません、これは年俸です。

当時の野球選手は、

  • 高校、大学野球のスターは月給5万円
  • スカウト入団した選手は3万円

と野村克也さん自身が、コラムで振り返っていたため、かなり安かったことが伺えます。

ただ年俸8万円でも、実は一般よりは高いほうであり、

当時のサラリーマンの年収は7万円だった

ことを考えると、良いほうだったのです。

1954年に8万円だった年俸のその後は…

  • 9年後の1962年で100倍の800万円
  • 1966年には、パ・リーグでトップとなる1560万円にアップ

など、順調に成績と共に年俸も伸びていきます。

そして、野村克也さんは1969年に、選手兼任監督に就任。

この頃から、選手としての年俸と監督としての年俸の両方をもらうようになりました。

その結果、

1969年には、選手・監督両方の年俸を合わせると1億円になっていた

とのことです。

当時の南海は、手取り分を渡していたため1億円には届いていなかったのですが、年俸とは本来は税金込みの金額を指します。

収めた税金分を含めると1億円に達していたので、

実は、最初の1億円プレーヤーは野村克也さんだった

ということになるわけですね。

ただし、野村克也さんの証言しかないため、この情報が本当なのか、真偽は不明です。

実際に最初の1億円プレーヤーとなったのは落合博満さんです。

その後、ネット上での野村克也さんの年俸情報を調べてみたのですが…

1973年には選手としても1億円に到達、その後の推移を見ても、

  • 1974年:2億円
  • 1975年:3億円
  • 1976年:4億円
  • 1977年:5億円

となり、最高年俸は5億円!

しかし、1978年になるとロッテオリオンズに移籍し、年俸は2億円に減少。

1年後の1979年に西部ライオンズへ移籍し、年俸は1億円と、さらに下がりました。

1980年には、億を超えていた年俸が5000万円までに減ってしまいます。

そして野村克也さんは現役引退を発表しました。

と、ここまでが選手時代の野村克也さんの年俸です。

…と言いたいのですが、この年俸情報にはやや疑問が残ります。

なぜかというと、当時、巨人という金満球団にいて、さらにキングと言われた最強バッター・王貞治さんでさえ、

1974年に年俸6000万円超えを果たし、世界で3人目の6000万円超えプレーヤーとなった

このように毎日新聞で報道されたのです。

いくら監督を兼任していたとはいえ、王貞治さんが世界で3人目の年俸6000万円超えプレーヤーとなっているのに、野村克也さんの年俸が2億円あったことは、怪しい話…。

残りの2人はメジャーリーガーなので、野村克也さんが、この時に年俸6000万円を優に超えているなど、ありえない話です。

そのため、少なくとも現役時代の野村克也さんの年俸は、

選手としては、6000万円を下回っていたことは確実

と言えるでしょう。

この何年か後に6000万円に到達した可能性ならば、十分考えられますが…。

野村克也さんの年俸が明確に判明しだしたのは、1990年のヤクルトスワローズの監督就任以降です。

1990年以降の野村克也さんの年俸はというと…

1990年 8000万円

1991年 8000万円

1992年 8100万円

1993年 1億3000万円

1994年 1億3000万円

1995年 1億3000万円

1996年 1億5000万円

1997年 1億5000万円

1998年 1億5000万円

1999年 2億円

2000年 2億円

2001年 2億円

2006年 1億5000万円

2007年 1億5000万円

2008年 1億5000万円

2009年 1億5000万円

以下の通りです。

監督は1億円が基本なのですが、優秀な監督であると1億円以上もらうことがあります。

この金額を見れば、野村克也さんが、いかに監督として優れていたかわかりますね!

推定ではありますが、野村克也さんの選手・監督時代の年俸総額は…

44億6316万円

と言われています。

大変な仕事だとは思いますが、ここまで長く活躍できるスポーツ選手・監督の年俸はすごい金額ですよね。

野村克也元監督の年収はいくら?

野村克也さんは、現役時代と監督時代にとても稼いでいますね。

しかし、それだけではありません。

野村克也さんは野球界を退いた後も、タレントとしてテレビ番組に数多く出演しています。

なので、テレビ番組の収入もありますし、テレビ番組の他にもイベント講演など、収入源がたくさんあります。

そして、野球の経験で得た知識でたくさんの著書を執筆し、その数は、Amazonで調べただけでも、なんと24冊。

これらの著書の印税だけでも

収入は1億円を超えている

と推測できます。

これらを年収にすると、

野村克也さんが野球界を退いた後の年収は、プロ野球の監督時代以上

だと考えられます。

少なくとも、数億円は手にしている可能性が高いでしょう。

野村克也の総資産はいくら?

野球選手時代、野球監督時代もかなり稼いでいた野村克也さん。

総資産はとんでもないことになっていそうですよね。

野村克也さんの総資産は、野村克也さんの2年前に亡くなった妻・沙知代さんが様々な会社の資産も相続しているはずなので、

残った総資産は、100億円以上

とも言われています。

これを、4人の子供たちが相続するわけですね。

100億円とは、スケールが違いすぎて、想像がつきません…。

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まとめ

今回は、野村克也元監督の年収や総資産について、現役時代の年俸もチェックしていきました。

野村克也さんは、野球選手として活躍し、監督としても大活躍してきました。

その活躍に比例して、やっぱり大金を稼いでいましたね!

現役野球選手・監督時代の年俸総額は

44億6316万円!

時代が時代だっただけに、選手時代の年俸は少なく、今だったらどのくらい稼いでいたのだろう…

と想像してしまいますね。

選手・監督としての年俸以外にも、本の印税だけでも

10億円ほど

あって、とんでもない金額です。

野村克也さんが遺した総資産は、先に亡くなられた妻・沙知代さんが経営していた会社なども含めると、

100億円超え!

少しでいいので、分けてほしいくらいすさまじいですね。

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