ドイツで約8年のプレーを終え、2018年に鹿島アントラーズに復帰した元サッカー日本代表の内田篤人選手。
『うっちー』の愛称で、多くの女性ファンに絶大な人気があることでもおなじみですよね。
ACLにも2試合出場し、優勝に貢献するなど、ベテラン域に達しながらも、プレーの質は全く落ちていない印象を受けます。
さて、そんな内田篤人選手ですが、これまで鹿島アントラーズを経てドイツに渡り、現在は、鹿島アントラーズに復帰。
当然、年俸の推移も見られると思いますので、本記事にて、内田篤人選手の移籍遍歴や年俸推移をまとめます。
また、一部で噂されている、鹿島アントラーズでの年俸の安さの秘密にも迫ります。
内田篤人のクラブ移籍遍歴
イケメンだけでなく、右サイドのスペシャリストとして欠かせなかった元日本代表の内田篤人選手。
ドイツに渡り、怪我に悩まされながらも、2008年~2015年までの約8年間で、多くの試合にレギュラーとして日本代表に招集。
- 2010年南アフリカワールドカップ(ベスト16敗退)
- 2014年ブラジルワールドカップ(グループリーグ敗退)
の2大会にも出場し、日本代表としても欠かせない選手でした。
そして現在、日本代表からは外れていますが、また鹿島アントラーズに復帰し、これまでどおりの活躍ぶりを見せ、アジアチャンピオンズリーグでも優勝。
右サイドのスペシャリストとして、鹿島アントラーズの右SBのレギュラーの座を定着させるほどの活躍を見せています。
そんな内田篤人選手は、これまでどんなチームで活躍してきたのか…
では改めて、内田篤人選手の移籍遍歴を振り返っていきます。
鹿島アントラーズ時代(2006年~2010年、2018年~)
内田篤人選手と言うと、多くのサッカーファンは、
『鹿島アントラーズの選手』
というイメージが強いですよね。
高卒でいきなり鹿島アントラーズの右SBに入り、レギュラーを掴み始めると、Jリーグ3連覇にも大きく貢献。
これまで、鹿島アントラーズの右SBに入っていた名良橋晃さんから背番号『2』も譲り受け、完全に鹿島アントラーズの右SBとして認められるようになりました。
今でも、ユース年代に、
「鹿島アントラーズの右SBといえば誰?」
と質問すると、決まって
「内田篤人選手」
と答える子供が多いですよね。
2018年に鹿島アントラーズを去り、現役引退した小笠原満男選手とともに、鹿島アントラーズの黄金期を支えた選手の一人として、人気の高い選手といえるでしょう。
内田篤人が所属していた鹿島アントラーズ黄金期
さて、そんな内田篤人選手の鹿島アントラーズ時代(とくに第1期)は、まさに黄金時代絶頂期!
小笠原満男さん、中田浩二さんたちと共に、チームを牽引し、Jリーグ3連覇をも成し遂げ、
「鹿島アントラーズを止めるチーム無し!」
と言われるほどの強さを発揮していました。
ちなみに、2018年までのJリーグで、3連覇を成し遂げたチームは、鹿島アントラーズのみ。
2018年に連覇を果たした川崎フロンターレも、まだ3連覇を成し遂げていません。
それだけ、当時の鹿島アントラーズは、とんでもない偉業を達成するほどの強豪クラブだったのです。
近年は、川崎フロンターレ、サンフレッチェ広島などのチームが台頭し、しばらく国内タイトルからは離れています。
しかし、昨年ACL優勝を果たすなど、海外での大会で強さを発揮し、一度は15位まで落ちた順位を最終的に3位に…
ここ数年タイトルから離れているとはいえ、鹿島アントラーズは強豪クラブにふさわしいクラブチームです。
鹿島アントラーズの黄金期を支えた内田篤人
そして、その土台を築き上げた一人である内田篤人選手。
鹿島アントラーズのレジェンドとして、語り継がれていくことでしょう。
もちろん、まだ引退したわけでもありませんし、今後さらなる活躍を見せ、日本代表復帰も十分ありえます。
決して力が衰えているわけでもありません。
さらなる活躍を楽しみにしながら、今後の内田篤人選手に注目していきたいものですね。
シャルケ04時代(2010年~2017年)
鹿島アントラーズの中心選手として、これまで活躍してきた内田篤人選手。
そんな内田篤人選手が、鹿島アントラーズ以上の年数在籍し、中心選手として活躍してきたのが、ドイツ1部のシャルケ04です。
シャルケといえば、欧州サッカーリーグ(UEFA)の前身ともなる、ドイツ・サッカー選手権で7連覇を成し遂げたことのある名門クラブ。
マルク・ヴィルモッツ氏が、今なお英雄の一人として讃えられていることも、欧州では有名な話…
2018年には、セネガル代表のサリフ・サネ選手が加入するなど、スター選手も数多く在籍しているチームです。
内田篤人選手は、2010-11シーズンから2016-17シーズンの7年、シャルケ04に在籍。
UEFAチャンピオンズリーグにも、通算29試合出場するなど、シャルケ04の中心選手として大活躍。
怪我の影響で苦悩したシャルケ04時代
鹿島アントラーズ時代同様、右SBを主戦場として中心選手として活躍しますが、代表戦などで怪我を負うケースも多く、苦しい時代も長かったですね。
それでも、チームは、内田篤人選手の実績を高く評価し、怪我で不在だったシーズンでも放出は考えていなかったそうです。
しかし、監督が変わった15-16シーズンは様相が一変。
怪我が治り、万全のはずなのに、起用してもらえず出場回数が激減すると、ロシアワールドカップに間に合わないと判断し、移籍を決断。
鹿島アントラーズ時代同様、ドイツでも非常に人気の高い選手で、シャルケ04の顔とも言うべき内田篤人選手。
ただ、シャルケ04では、鹿島アントラーズ時代以上に、酸いも甘いも経験した変革の時代だったことに違いはありません。
ウニオン・ベルリン時代(ドイツ・ブンデス2部)
シャルケ04での不遇もあり、出場機会を求めて、2016-17シーズンから、ドイツ・ブンデス2部のウニオン・ベルリンに移籍した内田篤人選手。
しかも当時、ウニオン・ベルリンの指揮を執っていたのが、かつての恩師・イェンス・ケラー監督で、出場機会も、増えるものと思われました。
またしての怪我で戦線離脱…
ところが、またしても肉離れによる戦線離脱を余儀なくされ、たった2試合の出場で終わってしまいました。
そして、もう後がないと危機感をつのらせた内田篤人選手は、古巣・鹿島アントラーズからのオファーもあり、複数年契約で鹿島アントラーズ復帰となったのです。
現在の鹿島アントラーズでの活躍を見れば、ウニオン・ベルリンで、もっと起用されていてもおかしくないと思うのですが、怪我ならどうしようもありませんよね。
とりあえず怪我も完治し、鹿島アントラーズで活躍しているので、最終的には結果オーライと言うべきでしょうか…
以上が、主な内田篤人選手の移籍遍歴です。
鹿島アントラーズ・シャルケでスターになった内田篤人
彼自身、ウニオン・ベルリンを除き、一度在籍したら長く在籍する傾向が見られます。
鹿島アントラーズで通算7年、そしてシャルケで8シーズン(ただし、2010年7月~2017年8月までなので、実質7年)在籍しています。
この2クラブの顔になるまで、彼はそれぞれのリーグで大活躍を見せ、スター選手の仲間入りを果たしました。
ただイケメンぶりが評価されただけでなく、サッカーの実績でもしっかり評価されたレジェンドの一人なのです。
内田篤人の年俸推移
鹿島アントラーズ・シャルケ04の顔として、活躍を見せている内田篤人選手ですが、当然デビュー当初から、年俸は大きく変化しています。
では、内田篤人選手の年俸推移を見ていきましょう。
鹿島アントラーズ時代(2006年~2010年)
2006年:500万円
2007年:1100万円
2008年:2100万円
2009年:3000万円
※2010年は、シーズン途中からシャルケに移籍しているため、シャルケ04での年俸で換算。
シャルケ時代(2010年~2016年)
2010年:4200万円
2011年:7500万円
2012年:7500万円
2013年:7500万円
2014年:2億5000万円
2015年:2億5000万円
2016年:2億5000万円
ウニオン・ベルリン時代(2017年)
2017年:2億5000万円
鹿島アントラーズ時代(2018年~)
2018年:9000万円
2019年:9000万円
以上が、内田篤人選手の年俸推移です。
自身最高額まで高騰したシャルケ時代の年俸額
やはり注目すべきなのは、シャルケ04時代の2億5000万円ですよね。
鹿島アントラーズ入団当初の500万円と比較したら、50倍も跳ね上がっています。
まだまだ海外との差は大きいですが、それでも長友佑都選手がインテルで活躍していたように、内田篤人選手も、海外ビッグクラブで活躍していたのです。
そして、中心選手として、信頼された証として、日本人選手としては、2億5000万円という高額年俸を手にすることができたわけです。
ちなみにウニオン・ベルリンでも、同額の2億5000万円で移籍しています。
あくまで結果論に過ぎませんが、計2試合の出場で終ったので、たった1試合に出場して、1億2500万円も稼げたなんて、まさに夢のような話ですよね。
それだけ、これまでの実績が高く評価されたということなのでしょう。
鹿島アントラーズでの年俸の安さの理由
さて、内田篤人選手の年俸推移で気になる点といえば、やはり鹿島アントラーズ移籍の際の年俸の安さが気になりますよね。
鹿島アントラーズでも実績を残していた内田篤人選手なのに、
半額以下での契約
というのは、ドイツのように評価されていなかったのかと勘ぐりたくもなる金額です。
ただ決して、鹿島アントラーズが内田篤人選手を評価していないわけではありません。
鹿島アントラーズでの年俸が安い理由は、チーム事情が原因
しっかりこれまでの実績も評価しているからこそ、怪我が完治していなくてもオファーを出していたわけですし、鹿島アントラーズ復帰は評価の表れです。
とはいえ、比較的年俸を抑えている鹿島アントラーズで、内田篤人選手だけ高額年俸となると、他の選手が黙っていません。
特に、ベテラン選手としてチームを牽引していた小笠原満男選手が黙っていないでしょう。
一部では、
『小笠原選手以上の金額は、他の選手の手前、出すことができない』
という理由で、ギリギリの9000万円となったという話もあります。
もちろん、これは噂レベルの話。
どこまでが事実かはわかりませんが、どんなに実績を評価しても、他の選手を配慮することはあるでしょう。
多少、評価と年俸額のアンバランスはありますが、それは内田篤人選手も了承できる範囲だったと思います。
何よりも、彼自身、出場機会を求めていたわけです。
古巣で、また試合に出られるのであれば、多少の減額は受け入れられたはず…
その想いが合致し、鹿島アントラーズでは年俸が安いものの、契約が成立しているのでしょう。
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まとめ
鹿島アントラーズ、シャルケ04、ウニオン・ベルリンでプレーしてきた、元日本代表の内田篤人選手。
これまでの移籍遍歴を見ても、その大半が、鹿島アントラーズとシャルケ。
いかに一つのクラブで長く活躍した選手であるか分かります。
年俸に関しては、シャルケ時代の2億5000万円が最高で、現在はその半分以下の年俸9000万円です。
しかし、それは鹿島アントラーズのチーム事情ゆえのこと…
そもそも出場機会を求めて鹿島アントラーズに復帰しているわけです。
その評価は落ちること無く、2018年もJ1リーグ12試合に出場し結果を出しています。
2019シーズンも間違いなく鹿島アントラーズを牽引する選手の一人として、今後の内田篤人選手の活躍に期待しましょう。